『おかえりモネ』震災をめぐる百音の後悔 心に負った傷と変わらず昇る朝日

『おかえりモネ』震災が百音に与えた呪い

 幼い頃から耕治(内野聖陽)の影響で音楽に親しみ、中学では妹の未知(蒔田彩珠)や亮(永瀬廉)たちかけがえのない友人と吹奏楽部に所属し、音楽を通して絆を深めていた百音(清原果耶)。“あの日”も受験は不合格だったが、ジャズクラブでのプロの演奏に興奮を覚え、島に帰ってみんなとまた音楽を奏でるはずだった。たしかに、あの日、あの瞬間まで、みんなと同じ時を共有しているはずだった。

 『おかえりモネ』(NHK総合)第3週では、百音の人生に大きな影響を与えた震災と、心に受けた傷と向き合いながら生きる人々の姿が描かれた。

 2011年3月11日、百音は耕治と共に仙台から島に帰ろうとしていた。しかし、その頃にはすでに島へ渡れる船などなく、ふたりは山の上から家が倒壊し、震災後の火災で至るところから火の手が上がる島の姿をただ呆然と眺めるしかなかった。島に帰れたのは数日後。百音は島の人たちが避難している学校の体育館に向かう。未知や吹奏楽部の同級生たちも無事だった。けれど。

 島を離れていた、たった数日がそれまで音楽を奏でるように共に生きてきた百音と島の人々との間に見えない“壁”をつくる。上空を飛ぶ救助ヘリ、大切な人や家を失い、静まり返った避難所で身を寄せ合う住民。変わり果てた島の様子が百音に重くのしかかる。

 「それに……私はいませんでしたから」。彼女は2011年3月11日のことを振り返り、朝岡(西島秀俊)にそう語っていた。あの時、島にいなかった。家族や同級生が大変だった時に、そばにいることができなかった。その時の恐怖や、避難するまでの苦労を共有することができなかったーー。

 誰も、百音を責める人はいない。けれど、百音は音楽コースのある高校を受験し、合格発表のために島を離れていたこと、そしてプロの演奏に魅せられ、足を止めたこと、様々な条件が重なり島に帰るのが遅くなってしまった自分自身の不甲斐なさをずっと責めていたのだ。

「音楽なんて何の役にも立たないよ」

 震災をきっかけに、百音の中に役に立つ/立たないという基準が生まれてしまった。“誰かの役に立ちたい”という言葉は聞こえはいいが、時に呪いとなって心を縛る。百音が吹奏楽部の仲間と共に奏でた音楽は島の人々を笑顔にしていた。そして、百音自身の心の潤いにもなっていたはずだ。しかし、“直接的に”音楽で人の命を救うことはできない。百音は悲しい思い出を残した島から離れ、そして音楽という大好きなものを手離してしまった。

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