『透明人間』が描く、現代における恐怖の感覚 リー・ワネル監督の洗練された手腕を読む

『透明人間』が描く、恐怖の感覚

 もし、プライベートな空間でリラックスしているときに、“見えない何者か”が、すぐそばに潜んで自分をじっと観察しているとしたら、どう思うだろうか。そして“それ”が、自分の生活や人生を思いのままに操ろうとしているとしたら……。

 姿の見えない“透明人間”を題材にした映画は、映画の歴史のなかで、これまでいくつも作られてきた。そのなかでも本作『透明人間』は、現代における恐怖の感覚そのものを封じ込めることで、ただ観客をその瞬間だけ驚かせるのではなく、“見えない何者か”を通して、観客たちが生きている現実に否応なく関わってくるような、油断ならない一作となっている。

 『アス』(2019年)や、ドラマ『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』のエリザベス・モスが演じるのが、本作の主人公セシリアだ。彼女は、天才的な科学者であるエイドリアンと交際し、彼の邸宅で暮らしていたが、この男は恋人を束縛し、その行動をコントロールしようとする人物だった。セシリアは、妹エミリーに協力してもらい、エイドリアンの邸宅から脱出し、エミリーの恋人の家にかくまってもらうことでエイドリアンの束縛から逃げることに成功する。

 恋人への束縛は、軽いものなら可愛げがあるかもしれないが、度を超えて加害的なものになってくると、パートナーに対する暴力行為であるDV(ドメスティック・バイオレンス)の一種とされる。セシリアは窮地から脱した後も、エイドリアンが追ってきているのではないかとびくびくしながら暮らし、家の敷地から出ることもできないような精神状態に追い込まれる。本作がまず描くのは、束縛や支配によって人の心が壊された姿だ。

 そんなセシリアに、エイドリアンが自ら命を絶ったという報せが届く。その出来事は、彼女の心を救うはずだったが、セシリアはまだエイドリアンが生きているような気がしてならない。そんな予感を裏付けるように、彼女は様々に不可解な出来事を体験することになる。そして、“エイドリアンは透明な状態になって、いつも近くで自分を監視している”という、荒唐無稽に思えるような疑念を抱くことになる。

 本作がおそろしいのは、透明人間が本当に存在するのか、それともセシリアの妄想なのかということが判然としないまま進行していくところだ。その意味で、ここでの“透明人間”とは、“暴力によって心が支配された人が、その相手がこの場にいなくとも負の影響を受け続ける”という構図の象徴として表現されているのだ。この解釈は、透明人間を題材とした作品のなかでも、哲学的とすらいえるものとなっているように思える。

 近年、アメリカで数多くのホラー映画を製作してきた、ブラムハウス・プロダクションズは、低予算ながら大ヒットした『パラノーマル・アクティビティ』シリーズをはじめ、『インシディアス』シリーズや『ヴィジット』(2015年)、『ゲット・アウト』(2017年)、そして『ハッピー・デス・デイ』シリーズなどなど、個性的で切れ味のある作品を手がける気鋭の製作会社だ。本作『透明人間』は、そんなブラムハウス・プロダクションズの作品であり、まさにスタジオの象徴のような個性あふれる映画なのである。

 もともと本作は、大手映画会社のユニバーサルが企画した、ホラー映画大作シリーズ「ダーク・ユニバース」のなかの一本として企画されたという。これは、マーベル・スタジオのヒーロー映画におけるMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)のように、一つの共通した世界を舞台に各作品が連動していくようなものになるはずだった。だが「ダーク・ユニバース」は頓挫し、『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』(2017年)一作のみで、企画は立ち消えになってしまった。本作『透明人間』は、その影響によって路線を変更して作品化されることになったのだ。だがそれは、本作を先鋭的なものにすることに一役買うことともなった。

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