『アス』はアメリカ社会の暗部を映し出す 黒沢清に重なるジョーダン・ピールの作家性

松江哲明の『アス』評

 映画監督にとって「2作目」は非常に難しいんです。特に1作目が高い評価を受けた場合、2作目によって、その作家の方向性や、真価が問われます。ジョーダン・ピール監督は初監督作『ゲット・アウト』で自ら手がけた脚本がアカデミー賞脚本賞を受賞し、各所で高い評価を受けました。それだけに、2作目となる『アス』には期待と同時に高いハードルを設けていた人も少なくなったと思います。でも、結論から言えば、『アス』もそのハードルを越えてきた傑作だと思います。

 アデレード(ルピタ・ニョンゴ)、その夫ゲイブ(ウィンストン・デューク)、娘ゾーラ(シャハディ・ライト・ジョセフ)、息子ジェイソン(エバン・アレックス)のウィルソン一家が、夏休みを過ごすために訪れた別荘で、自分たちに“そっくりな存在”と対峙し、恐怖の一夜を過ごす……というのが本作のあらすじです。

 『ゲット・アウト』もそうだったのですが、あらすじだけ並べるとピール監督の作品は非常にシンプルなんです。「あなたの生きている世界に、もしこんなことがあったら」というワンテーマの物語は短編向きだと思います。かつての『トワイライトゾーン』や『世にも奇妙な物語』というか。でも、それを30分弱の小話ではなく、2時間の映画として見せきれるところにピール監督のすごさがあります。私は似たタイプの監督としてM・ナイト・シャマランがいると思うのですが、彼はテーマを観客を置いてけぼりにしてしまうくらいにこねくり回し、作品と心中してしまうのに対し(だからこそ好きなんですが)、ピール監督は社会と向き合い、外へ外へと向かいます。結果、想像もつかない境地にたどり着くんだけど、ちゃんと地に足が付いている作品になっているんです。

 2時間の映画として成立させることができているのは、ただの恐怖や違和感を観客に与えるだけでなく、ホラーというジャンルを通して“いま”の世界を映し出しているからです。ウィルソン一家は衣食住、どれをとっても裕福な生活を送っていることが冒頭から垣間見えます。一方、彼らの知らないところで、「そっくりな存在=テザード」たちは、まったく同じ容姿をしているにも関わらず、劣悪な環境で生活してきたことが明かされます。ウィルソン一家は決して悪人ではありません。しかし、知らず知らずのうちに、豊かさの代償を誰かに担わせていたんではないかと、テザードたちの存在が突きつけてくるんです。それは、現実世界で現在進行系で起きている、貧富の格差や人種差別を実感している私たち観客にとっても他人事ではありません。だからこそ、テザードたちの恐怖を、より実態を持って感じるんです。

 そんな心理を突いた巧みな恐怖描写があるだけでなく、映像としての恐怖描写のセンスに長けているのもピール監督の特徴だと思います。テザードたちは、動き、声、表情と生理的に“気持ち悪い”と感じる絶妙なバランスがあります。人間であるはずなのに、人間ではない感じてしまう不思議な存在。ピール監督は、テザードたちが手を繋ぐ動きなどは園子温監督作『自殺サークル』を参考にしたとコメントしていますが、それ以上に影響を受けているのではと思わされるのが黒沢清監督です。『カリスマ』『降霊~KOUREI~』『回路』といった、2000年前後、黒沢監督が生み出した、映像だけでなく思想や世界観がいやーな雰囲気を持つ傑作群を思い出しました。自分の身の回りで起きていることが、いつの間にか世界を揺るがす大きなものに繋がっていた、という構成も似ています。テーマはまさに『ドッペルゲンガー』、デザードが燃えるカットは『降霊』、ラストカットは『カリスマ』を想起しました。黒沢監督もホラーの可能性を押し広げていった作家ですが、その点においてもピール監督も共通していると言えると思います。

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