菊地成孔が『ミセス・ノイズィ』を語る これからのホームドラマにおける時代設定の重要性

菊地成孔が『ミセス・ノイズィ』を語る これからのホームドラマにおける時代設定の重要性

 天野千尋監督作『ミセス・ノイズィ』が現在公開中だ。

 本作は、第32回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門にて上映され話題となった、天野監督のオリジナル脚本作。ささいなすれ違いから生まれた隣人同士の対立が、マスコミやネット社会を巻き込んで、やがて2人の女の運命を狂わせる大事件へ発展していく。

 公開が始まりふつふつと話題になっている本作。今回、リアルサウンド映画部で映画連載も行っている音楽家/文筆家の菊地成孔に、本作を鑑賞してもらった。「知的にコントロールされたウェルメイドなエンターテインメント作品」と評する菊地は、本作のどこに魅力を感じたのか。長文のインタビューにて語ってもらった。脚本上の避けられない「穴熊」にまで踏み込み、「令和の映画はSNSをどのように扱うべきなのか」という重要なテーマにまで議論が及んだ。(編集部)

※本稿は『ミセス・ノイズィ』のネタバレを含みます。

「最後の最後まで、ちゃんと計算された脚本になっている」

ーーまずはズバリ、菊地さんは本作『ミセス・ノイズィ』を、どんなふうにご覧になられましたか?

菊地成孔(以下、菊地):最近は映画一本に対する事前の情報が少ない時代になってきたというか、僕もこの作品に関しては、ほとんど何の情報もない状態で拝見したのですが、結論から言うと、すごく面白かったです。とにかく、脚本がよく書けていますよね。まずは、隣人トラブルの話であると。で、それを小説家であり主婦業もやっている女性の立場で描こうということで、ややもすると社会派みたいなものに流れていきがちな素材ではあるんですけど、必ずしもそういうふうにはなっていかないわけで。まあ、隣人トラブルっていうのは、素材としては正直新しくはないですけど(笑)。

ーーちょっと懐かしい感じもありますよね。

菊地:うん、ちょっと懐かしさすらある。まあ、それはこの映画のモデルになっているであろう事件の懐かしさとも関係してくるというか、それはこのあと話そうと思っている、映画における時代考証の問題とも関わってくるんだけど、まずはまったく予備知識なく観始めたというか、冒頭から結構ワクワクしながら観ていたところがあって。とにかく、脚本の才気が素晴らしいので、ここからコメディに流れるのか、怖い話に流れるのか、ちょっとわからないところがあるじゃないですか。いろんな可能性を含みながら、物語がスタートしていくので。普通の映画だったら、パッと見て、これはラブコメだなとか、これはホラーだなってわかるけど、この映画は、そういう映画の面構えみたいなものが読めなくて、どういう展開になっていくのか、まったくわからないところがあるんですよね。

ーー確かに。

菊地:しかも、出てくる俳優の方々も、ちょうどいい具合に無名性があるというか、これが普通にテレビや映画で見慣れた俳優さんだったりすると、ある程度先が読めたりするじゃないですか。それがこのリージョンの映画のいちばんいいところなんですけど、どういう俳優さんなのかわからないから、絶対この人がこうなるはずはないっていう予想が立たないんですよね。それが立たないまま、物語が進んでいくという。で、これは若干ネタバレになりますけど、映画のちょうど真ん中あたりで物語が折り返しになっていて、そこで大きなどんでん返しがあると。まあ、それはタランティーノなんかがよくやるスタイルというか、もっと大袈裟に言うと、ヒッチコックの『サイコ』のように、途中から別の話になってしまうという(笑)。その驚きがまずあって、そこでだいぶ心を持っていかれますし、そういう意味でも、脚本がとにかくよく書けていると思うんですよね。

ーーそこまでの展開は、非常に見事ですよね。

菊地:うん、見事だと思います。脚本が周到であるというか、勢いに任せているところがまったくなくて、最後の最後まで、ちゃんと計算された脚本になっていると。で、さらにネタバレになりますけど、映画の真ん中でどんでん返しがあって、そこで多視点になるというか、主人公が2人になるわけで。そこまでの手腕が、すごい上手で感心するんですよね。これはすごい面白いなと。しかも、その主人公2人のどちらにも、移入できるようになっている。というか、そのどっちかだけにすごい移入があったら、この映画は成り立たなかったと思うんですよね。そうやって双方に移入があるからこそ、非常にバランスが良いというか、これは主人公への自己投入によって、エモーションが爆発するような映画ではなく、知的にコントロールされたウェルメイドなエンターテインメント作品であると。それは早い段階で明らかになるというか、その真ん中の地点で「さて、これからどうなるんだろう?」っていうミーティングがあるわけです。一方から見た事実が事実なのではなく、双方から見るとそれぞれ言い分があって、なおかつ双方共に若干常軌を逸したところがあるという(笑)。

ーー(笑)。篠原ゆき子さん演じる小説家も、見方によっては結構エクストリームなところがある人物なんですよね。

菊地:そう、そのあたりが演技で細かくサポートされているんですよね。主観が変われば、相手の演技がキツくなるわけで。もちろん、最初の時点では「布団叩きおばさん」のほうがキツいんだけど、その演じ分けみたいなところが、演出を含めて非常に巧みなんですよね。で、どっちが正しいっていうわけじゃないっていうところに、一回持っていかれるわけです。だから映画の中間地点で、観客も一緒にミーティングをしているような気分になるんですよね。さあ、この映画は、これからどこに向かって進んでいくんでしょうっていう。

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