菊地成孔が『ミセス・ノイズィ』を語る これからのホームドラマにおける時代設定の重要性
“狂言回し”と化すSNS
ーーそこから先は、いかようにも転がすことができるというか。
菊地:だから、そのあとの展開については、いろんなアイデアがあったと思うんですよね。ビリー・ワイルダーの映画とか、ああいう古典的でウェルメイドなところに落とし込んでいくこともできるし、あるいはタランティーノの脱ドラマみたいなものというか、ギリギリまで持っていって、最後の最後にとんでもないオチがくるとか(笑)。まあ、今の映画史の中では、いろんなことができるはずなので、僕もそのあたりを楽しみにしながら観ていて。この映画がウェルメイドでツイステッドなコメディであるっていうのは途中で明らかになったわけで、あとはどこに落とし込んでいくのかっていう。でもまあ、油断はできないわけです。日本にはJホラーもあるし、それこそハサミムシが出てくるじゃないですか。ああいう感覚を監督がお持ちだということは、どんな可能性も考えられるというか、一歩間違えたら、すごい血生臭い凄惨な話になることだってあるだろうし。
ーー確かに、ハサミムシには、ちょっとギョッとしました。ひょっとすると、これは相当ヤバい映画なのかもしれないって(笑)。
菊地:ギョッとしますよね(笑)。あと、これもミスリーディングですけど、布団叩きおばさんの旦那さんが、子どもと一緒にお風呂に入ったとか言って、相当ヤバいところまで引っ張るじゃないですか(笑)。だけど、それを逆側から見たら……っていう。そこまでしつらえた上で、果たしてどういう物語になっていくのかっていうのは、やっぱり気になりますよね。でまあ、結論としては、ああいう感じで落ちていくわけですけど。まあ、端的に言って、非常にいい話で終わりますよね。
ーーそうですね。いわゆる「笑って泣ける」ような話に落ちていくという。
菊地:だから、系譜としては、周防正行監督の『Shall we ダンス?』みたいな感じというか、俺には関係ないけど、まあいい話だねっていうふうな終わり方だと思うんですよね(笑)。すげえわかるわとか、まったく理解できないとかじゃなくて、お話としてはよくわかるし、良かったねっていう。そこに直接的な影響関係はないと思いますけど、『カメラを止めるな!』みたいな感じで、全然違うような話から入っていって、その最後に待っているのは、めちゃめちゃいい話であるという(笑)。最初はドキドキするようなサスペンスだけど……というか、だからこそ、この最後のオチが効くのだっていう。そうやって図式的に言ってしまうと万々歳というか、成功していると言えば、すごく成功している映画なんですよね。俳優も見事、演出も脚本も見事で、真ん中の折り返し地点を過ぎてから、結末に向かってちゃんと進んでいくという。そういう意味では非常によくできた、今様の作品であると手放しで褒めてしまってもいいんだけど……個人的には、1、2点、引っ掛かるところがあって。まあ、ウェルメイドの笑って泣ける人間ドラマにケチをつけてもしょうがないんだけど、ウェルメイドな作品だからこそ、どうしても無理があるところがいくつかあって。
ーーそこは是非、お聞きしたいところですね。
菊地:ええと……まずひとつ目は、布団叩きおばさんの旦那さんの顛末ですよね。なかなか言い方が難しいですけど、あの人が最後、ピンピンした状態で出てくるのは、ちょっと引っ掛かりますよね。彼がとった行動によって、小説家である彼女に対するマスコミの風向きが逆転するわけで。だから、脚本上、ある程度の悲劇性が必要なんですけど、それが最後、普通にピンピンした状態で出てくると。まあ、そこで彼がピンピンしてなかったら、最後ハッピーエンドにならないわけで。だからあそこはもう、脚本上の「穴熊」なんですよね。いかんともし難いっていう(笑)。
ーーなるほど。
菊地:まあ、それ以上はネタバレになるので、ここでは言いませんけど、僕はちょっと違和感を持ちました。でもやっぱり、いちばん引っ掛かったのは、SNSの描写ですよね。あの旦那さんを追い込んだのは、小説家の彼女ではなく、ネットの書き込みなわけじゃないですか。そう、この映画は、SNSは怖いというか、SNSというのは人を追い込むメディアあるっていうことも描いているわけですよね。もちろん、SNSに先行するテレビのワイドショー的なものとか、それに先導される世論の恐ろしさもあるわけで。それはこの映画にとって、比較的に重要なテーマだと思うんですよね。というか、そこはあらゆる観客が移入できるところだと思うんです。ほとんどの人は、小説家であり子育てもしている彼女に移入するよりも遥かに高い度合いで、「SNSって、おっかないよね」っていうところに移入するわけじゃないですか。
ーーそうですね。そこは他人事ではないというか、ある日突然、自分がそういう目に遭う可能性もあるわけで。
菊地:そう。何も悪くない人がSNSで叩かれて大変なことになったりしているのを、我々は散々見てきているわけだし、SNSというのが相当厄介なメディアであって、なかなか簡単に禊をさせてもらえないってことも知っているわけですよね。それこそ、芸能人が何かしたあと、ネットで過剰に反応されて追放になっちゃったりとか。そこは、みんなが共感できる要所だと思うんです。だけど、この映画の中では、SNSがある種「狂言回し」になってしまっていて、SNSのリアルな恐ろしさっていうものに、全然肉薄していかないんですよね。そもそも、あそこまでワイドショーが盛り上がって、SNSでも大炎上した事件が、たった1年で簡単にひっくり返るのかなっていう。