映画『鬼滅の刃』大ヒットの“わからなさ”の理由を考察 21世紀のヒット条件は“フラットさ”にあり?
「SNS化」=投機化する映画興行との関係性
ともあれここでは、原作マンガやテレビアニメのヒットの問題は差し置いて(それについてはすでに多くが語られているので)、さしあたり今回の『鬼滅』の映画興行について考えてみたい。
ぼくがここ1週間ほどの『鬼滅』の常識破りの興行的快進撃を眺めていてあらためて思い出したのは、過去のやはり同じような2本の映画の大ヒットぶりである。ひとつは、2014年の日本国内でのディズニーアニメ『アナと雪の女王』(2013年)の大ヒットであり、もうひとつは、2019年の『アベンジャーズ/エンドゲーム』の世界的な大ヒットである。『アナ雪』が日本で大ヒットしていた当時、ぼくは別稿でこのアニメ映画の空前の大ヒットについて、かつての『千と千尋』や『タイタニック』(1997年)のときとはまったく異なった構造の、映画興行のプロモーションやコンテンツの消費モデルが成り立っていたと指摘したことがある。ひとことでまとめれば、それは現代の映画のヒットの構造の仕組みが、SNSの情報消費のモデルと一体化してきたことにそのヒット要因が求められるというものだ。
『アナ雪』にせよ、あるいはその後の『君の名は。』や『シン・ゴジラ』(2016年)、『カメラを止めるな!』(2018年)にせよ、それらの映画では一様に、動画サイトやSNSに、関連するネタや二次創作的なコンテンツが自生的に増殖し、それらの口コミや関連動画などが脊髄反射的に次々と拡散していくことで、従来の映画興行ではありえないほどのきわめて短期間のスパンで爆発的な動員を可能にする(と同時に、一定の時期が過ぎれば一挙に終息していく)というプロセスをたどった。その意味で、当時のぼくは「いってしまえば、この『アナ雪』という作品は、構造自体が、きわめて「ニコ動的」なのである」(拙稿「イメージのヴァイタリズム」、『すばる』2014年2月号所収)と記した。ぼくは2010年代の映画興行に起こったこうした新たな事態を、「文化消費の「ニコ動ランキング化」ないし「pixivランキング化」」(「液状化するスクリーンと観客」、『スクリーン・スタディーズ』東京大学出版会、2019年所収)とも呼んだ。そして、国内映画興行におけるこうした現象は、いうまでもなく昨年の『アベンジャーズ/エンドゲーム』においても正確に反復されていただろう。『アベンジャーズ/エンドゲーム』は、瞬く間に全世界で約28億ドルの興行収入を稼ぎ出し、巨匠ジェームズ・キャメロンの『アバター』(2009年)を抜いて世界歴代興行収入ランキングの1位に駆け上がった。
ところで、まさにいま、このコラムを書いている瞬間にもぼくのふだん過疎りまくっているTwitterは、『鬼滅』についてつぶやいた何気ないツイートが、とくに意味もなくプチバズっている。急速に「リアルタイムウェブ化」し「SNSのトレンドランキング化」している現代の映画興行の構造も、まさにこのTwitterの「バズり」(アテンション)と同じだ。それは文字通り脊髄反射的で情動的、そして投機的(speculative)なのであり、その背後にじつはさしたる意味=「深さ」はない。今回の『鬼滅』の大ヒットもまた、こういってしまうと本当に身もふたもなくなるが、おそらくはそうしたものなのだ。