薬師丸ひろ子、徳永えりの涙が突き刺さる 『エール』それぞれの「会いたい」が哀しく響く
1945年8月15日、日本は終戦を迎えた。
第84話において、五郎(岡部大)が裕一に訴えた「戦争に行く人が増えれば無駄に死ぬ人が増えるだけです」という言葉が思い出される。“無駄”と言うには憚られるが、第二次世界大戦が始まってからおよそ6年の間にたくさんの尊い命が犠牲となった。生き残った人たちは終戦の日、何を思ったのか。まさ(菊池桃子)は、ただ「良かった」と呟いた。多くの人が抱いた本音だったろう。
豊橋では、五郎が梅(森七菜)と岩城(吉原光夫)が収容されている病院を訪れていた。豊橋が空襲を受け、2人は大怪我を負ったが一命を取り留めていたのだ。五郎が留守の間、関内家を守った岩城が心臓に病気を抱えていたことも明らかに。岩城が終戦前に「時間がないのに」と語っていたのは、残された時間が少ない自分の代わりに、関内家を守る使命を五郎に託さねばという焦りが隠されていたのかもしれない。
一方、福島では、音(二階堂ふみ)と華(根本真陽)が東京へと帰る身支度を整えていた。音と華、そしてまさと4人で賑やかに暮らしていた浩二(佐久本宝)からは「家族で暮らすっていいな」という本音が溢れる。そんな浩二に、華は「男は自信と優しさ」とアドバイス。それはまさに、華が密かに想いを寄せる弘哉(山時聡真)のことだった。
しかし、予科練に志願し、戦場へと旅立った弘哉は帰ってこなかった。母・トキコ(徳永えり)に戻ってきたのは裕一(窪田正孝)が、歌が苦手な弘哉に贈ったハーモニカだけ。華はただ、弘哉に会いたいと泣き叫ぶ。思い返せば、ビルマで絶命した藤堂(森山直太朗)が最後に遺した言葉も、その死を報らされた昌子(堀内敬子)が呟いた言葉も「会いたい」だった。戦争が終わったとはいえ、平和だった頃の日常が帰ってくるわけではない。遺された人々は亡きがらに対面することも叶わず、思い出だけを噛み締めて生きる他ないのだ。
ただ純粋に音楽を愛し、周囲の人間に気遣える心優しい弘哉が命を失った。それも、彼は裕一が作った「若鷲の歌」に駆り立てられたひとりの青年。裕一は“音楽”で生きる歓びを与え、同時に国のために命を捧げる決意を後押しした。その責任が裕一に重くのしかかる。
「僕は音楽が憎い」
そんな裕一の言葉と対比させるように、光子(薬師丸ひろ子)が歌う「うるわしの白百合/賛美歌496番」が戦争で亡くなった人たちの魂を慰め、遺された人々と『エール』を観ていた視聴者の心を癒していく。バックに流れるのは、戦争で焼き尽くされた豊橋の家で楽しく暮らしていた思い出の数々。
本来この場面は失われた日々を思い返し、光子が台詞で悔しさを滲ませるはずだった。しかし、薬師丸自身の提案により、台詞ではなく歌で気持ちを表現することになったという。悔恨も哀しさも包み込むように、優しく響く賛美歌に改めて音楽の力を感じた。裕一にも、再びそう思える日がくることを願うばかりだ。