『MIU404』些細な出来事も全て最終話へのスイッチに サブタイトル《 》に埋まるものとは

『MIU404』全て最終話へのスイッチに

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#MIU404

 ドラマの中で見た風景が、そのままTwitterで表示される現実。こんな脳がしびれるような感覚を、脚本家・野木亜紀子は「臨場感を感じられるかも」とつぶやいた。この風景がまるで見えていたかのように。

 このドラマはフィクションだ。だが、とっくに“テレビの中のお話”では片付かない何かが、私たちに迫ってくる。リアルタイムでつぶやかれる言葉一つひとつが、誰かのつぶやきに反応するたびに問いかけてくるのだ。「自分が騙されているかもしれないと想像したことは?」と。

誰もが騙される久住の強みは「都合の良さ」

 『MIU404』(TBS系)第10話、サブタイトルは「Not found」。伊吹(綾野剛)と志摩(星野源)は、久住(菅田将暉)を見つけることができない。携帯電話などの名義も、すべて足がつかないようにしてあった。「久住ってさ、何なんだよ」。そうボヤく伊吹に、志摩は「メフィストフェレスかもな」と答える。それは、甘い言葉で人間の魂を奪う悪魔。「むじいよ、何語? メケメケフェレット」と、いつもの調子で答える伊吹だが、文字通り久住とのイタチごっこを繰り広げることになる。

 久住は、出会う人にとって心地いい人間を演じていた。家にも帰れず警察に追われていた成川(鈴鹿央士)には頼れる兄貴分に。ある青年には「母親の顔なんて見たことがない」と話し、別の青年には「自分もパソコンが友達だった」と近づく。そんな彼らを見ていると「夢の島」と呼ばれるほど豊かな日本は、実はどこよりも心が飢えた国なのかもしれないと思えてくる。目の前に差し出された、甘い言葉に、憂さを晴らしてくれる情報に、都合のいいネタに……疑うことなく食いついてしまう。寂しさや不安が心のバックドアとなることを、久住は良く理解しているのだ。

 そして、久住がアクセスし放題なのは、世間知らずの若者の心ばかりではない。殺されてしまったエトリのような裏社会の人間も、ドーナツEPを作る大人たちも、そして特派員REC(渡邊圭祐)も、みんなにとって久住は都合のよい存在だったのだろう。彼らの心にアクセスするなら、パスワードとなるのはお金や承認欲求だ。いつだって満たされない彼らに近づき、欲しいものをチラつかせる。欲に目がくらんだ彼らにとっては、久住がどこの誰だろうと構わない。だが、利益だけで繋がった関係性は、利用価値がなくなればすぐさまバッサリ切り捨てられるものだ。久住が自分を「クズを見捨てる=クズミ」と名乗ったのは、そんな希薄な人間関係を揶揄したものかもしれない。

 久住は、新しいシェアオフィスで行き交った男性から「五味(ゴミ)くん」と呼びかけられていた。同情や共感を呼ぶために不運な身の上を話していたとき、「母親がゴミのように死んだ」という言葉を使っていたのも印象的だ。もしかしたら彼自身の抱える孤独、ゴミのように命を落とす瞬間を見たことだけは真実なのかもしれない。住まいも、顔も、本名すらつかめない久住は、逆を言えば誰も本当の彼を知らないという恐ろしさでもある。自らが、自分を人間として肯定できない感覚。それは、もしかしたら第7話で登場した家出少女たちとさして変わらないのではないだろうか。

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