高橋一生の悪の色気に虜にならずにはいられない 舞台『天保十ニ年のシェイクスピア』が放つ“毒”

高橋一生の悪の色気に虜にならずにはいられない 舞台『天保十ニ年のシェイクスピア』が放つ“毒”

 日生劇場で絶賛上映中、今後の大阪公演、Blu-ray・DVDの発売も決定している『天保十ニ年のシェイクスピア』は非常に贅沢な作品だ。『天保水滸伝』の世界に、シェイクスピアの37戯曲を詰め込んだ井上ひさしの初期の戯曲であるこの作品は、浦井健治の『ハムレット』『ロミオとジュリエット』、そして高橋一生の『リチャード三世』、辻萬長の『リア王』など、一つの作品で様々な名台詞を含めたありとあらゆる役柄を演じる俳優たちを堪能できると共に、ミュージカルとしても、侠客ものの時代劇としても面白い。

 高橋一生演じる無宿人、佐渡の三世次は、いつも屋根の上に寝そべるように佇み、自分の言葉一つで踊る人々をニヤニヤと笑いながら見つめている。まるでこの豪華絢爛で、猥雑な、業まみれの世の中の全てを司る神であるかのように。片足が不自由というハンディキャップを抱え、これまで負ってきた苦労を示すかのように、顔全体が闇で覆ってしまっている男は、生まれながらこの世の不幸を全部背負って生きているかのようだ。彼は、そんな不幸をものともせず、言葉一つでのし上がり、世の中を面白可笑しく変えてみせようとする。

 彼にかき回されるように、物語は動く。『ハムレット』たる、きじるしの王次(浦井健治)に父親の復讐を決意させるのは、亡霊を装った百姓をマリオネットのように操る三世次であり、時には『リチャード三世』よろしく振る舞い、時には『オセロー』におけるイアーゴーのように、巧みに男の嫉妬に火をつける。彼の傍には、『マクベス』の魔女を思わせる清滝の老婆(梅沢昌代)が、輝かしい未来を保証する予言と警告を持って佇んでいる。彼の成功を阻むものがあるとすれば、どんな人をも狂わせずにはいられないもの、恋だけだ。相手は、世にも美しい、異なる性格の双子の女、唯月ふうか演じるお光とおさち(『間違いの喜劇』)。

 だが、シェイクスピアの全ての悪役の役割を担わされた三世次である。語り手である隊長(木場勝己)と共に、ありとあらゆる恋物語を傍から眺めるしかない運命の彼が、物語のヒロインに手を出すことは、そう容易いことではない。

 この作品の魅力は、その滅茶苦茶さと猥雑さにある。貞淑な乙女も狂気を装った王子も、歌詞の一つ一つをみるとなんだか卑猥。『マクベス』の夫婦はいつのまにか『オセロー』の夫婦に転じ、布団の上でくんずほぐれつの末「祈りは済ませたか」の悲劇に繋がる。命を奪い合う愚かな人間たちの悲劇の根底には、生、あるいは死への渇望があると共に、一見バカバカしく破廉恥な、燃え上がる性への渇望も無視することはできない。

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