高橋一生の悪の色気に虜にならずにはいられない 舞台『天保十ニ年のシェイクスピア』が放つ“毒”

『天保十ニ年のシェイクスピア』が放つ“毒”

 井上ひさしが、1974年の初演当時教養主義的に畏まって演じられてきたシェイクスピア作品を挑発し、これでもかというほどエログロと血糊で繋いだと言われるこの作品。高橋一生ファンだろうとそうでなくても、「きれいはきたない、きたないはきれい」と妖艶に歌いながら遊女たちと戯れる三世次の登場シーンで零れ出る、毒を持った悪の色気に、一瞬で虜となることだろう。

 これまでも、2002年のいのうえひでのり版では上川隆也、阿部サダヲ、2005年の蜷川幸雄版では唐沢寿明、藤原竜也と、名優たちが全くタイプの異なる『天保十ニ年のシェイクスピア』を演じてきた。

 藤田俊太郎演出、宮川彬良作曲の新演出によるこの作品は、辻萬長、梅沢昌代、木場勝己といった脇を固めるベテラン陣の安定感はもちろんのこと、かつてのドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ系)において主人公とヒロインのそれぞれの仕事場の上司役を演じていた高橋一生、浦井健治の魅力に尽きる。

 歪んだ愛を内に秘め、世の中をニヒリスティックに見つめ暗躍するダークヒーローの暗く哀しい魅力をしっとりと歌い上げ、自由自在に舞台上を行き来する高橋一生は、もはや彼以外にありえないとさえ思わせるハマリ役だ。それと共に、ミュージカル俳優である浦井健治の歌は音楽劇としての作品の質を高め、どんなに下品な台詞を口にしていても正義の王子としての凛々しさ、可愛らしさは一瞬たりとも損なわれないことは驚異的である。

 きじるしの王次とお光は、一目見た瞬間恋に落ちる。上から伸びた白い紐に掴まり飛び上がるように(「想像の翼で越えた」)、軽々と1階からお光のいる2階へと飛び上がる王次。テンションがいやに高いバカップルのような『ロミオとジュリエット』は、本来の彼らとはそのようなものだったのかもしれないと思わせて笑わせる。それを上から覗き込み、バカにしたように笑っている三世次は、ふと、自分の頭上から伸びている紐が一体どこから伸びているのか不思議そうに確認する。「蜘蛛の糸」が天から降りてきて、何の気もなしにそれの力を借りて、空に飛び上がってしまった王次。王次とお光は、『マクベス』の3人の魔女のようにグツグツと釜を焚く老婆たちに導かれ、人形浄瑠璃の人形よろしく操られ、大きな何かに導かれて、桜舞い散る悲劇へとひた走っていくのである。

 彼らを導いている引力とは何か。全ては三世次の手の平の上、それとも清滝の老婆の手の平の上か。いや、この物語の全てを操っているのは三世次の言うところの「ことば・ことば・ことば」。何百年も世界中の人々の心を魅了し続けてきたシェイクスピアの言葉の毒、井上ひさしの戯曲の毒。その毒に狂わされ、引き摺られ、従わずにはいられないのは、この物語の登場人物たち全員であり、我々観客自身なのだ。

■藤原奈緒
1992年生まれ。大分県在住の書店員。「映画芸術」などに寄稿。

■公演情報
『天保十ニ年のシェイクスピア』
2月8日(土)~2月29日(土):東京・日生劇場
3月5日(木)〜3月10日(火):大阪・梅田芸術劇場メインホール
作:井上ひさし
音楽:宮川彬良
演出:藤田俊太郎
出演:高橋一生、浦井健治ほか
写真提供:東宝演劇部
公式サイト:https://www.tohostage.com/tempo/

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