【ネタバレあり】『フォードvsフェラーリ』がラストシーンで到達した“マン映画”からの解放
アメリカのフォード・モーターとイタリアのフェラーリが、会社同士のいさかいをきっかけにして、60年代にレースで火花を散らした史実を基に、奇跡のようなレースカーの開発を成し遂げた男たちのドラマを描く、映画『フォードvsフェラーリ』。アカデミー賞作品賞へのノミネートを果たすなど、すでに高く評価されている一作だ。
しかし本作は、そう聞いてイメージする、実際の開発秘話を描いた映画とは、かなり違った印象のものとなっていた。ここでは、そんな『フォードvsフェラーリ』が、何を描いていたのかを、できる限り深く考察してみたい。
ハリウッドの大手スタジオには、“眠っている企画”がいくつも存在する。例えば、デイミアン・チャゼル監督作品『ファースト・マン』(2018年)は、もともとクリント・イーストウッド監督が撮るはずの企画だったが、内部的な事情により製作に入らず、そのまま手付かずとなっていたところを、チャゼル監督が手をあげたことで再び始動することになったのだ。
同様に、本作は当初、マイケル・マンが監督するはずの企画だったという。それが流れた後、『トップガン マーヴェリック』(2020年予定)のジョセフ・コシンスキー監督とトム・クルーズのコンビに移り、さらにはブラッド・ピット主演企画となるなど、二転三転したのち、今回のジェームズ・マンゴールド監督、マット・デイモンとクリスチャン・ベールのダブル主演というかたちに落ち着いた。
マイケル・マンといえば、監督作『ヒート』(1995年)に象徴されるように、男と男の熱いドラマを描かせれば随一の監督だ。そう聞くとこの企画は、まさに文字通りマン監督の“マン(男の)映画”であったのだろう。
本作を実際に手がけたマンゴールド監督も、ある意味そんな“マン映画”を撮りあげている映画作家だ。クリスチャン・ベール出演の西部劇『3時10分、決断のとき』(2007年)や、死にゆく男の精神を描いたヒーロー映画『LOGAN/ローガン』(2017年)は、アウトローの生き様を描いている。『LOGAN/ローガン』の予告編や主題歌にジョニー・キャッシュの曲が使われていることも象徴的である。
この企画は、短期間で優れたレースカーを開発した事実を、様々な開発者の視点から描く、例えばNHKドキュメンタリー『プロジェクトX 挑戦者たち』のようなアプローチの方が、一連の出来事をより正確に語れたはずだ。当初の企画でも、本作の最終的なかたちよりも多くの登場人物にスポットライトが当てられ、アンサンブルを構成する予定だったという。
しかし、本作ではあくまで、キャロル・シェルビー(デイモン)とケン・マイルズ(ベール)の物語を描く内容へと舵をきっている。事実よりも娯楽性と男たちの孤高の存在が前面に押し出されている。つまり、その意味ではマンゴールド監督は、本作をより“マン映画”へと押し上げようとするのだ。企画が新しい監督に移る際、それにあわせて脚本も新しく一新されるケースがある。これも、チャゼル監督の『ファースト・マン』と同じ経緯である。
同時に本作では、登場人物ができる限り省略・脚色され、レースの責任者に就任したフォード上層部のレオ・ビーブも、悪役として史実以上に醜悪な存在として描写されている。良くも悪くも、エンターテインメントとして極度に単純化された、典型的なハリウッド娯楽作品となっているのだ。