同性愛行為が“違法”のケニアで描く、二人の少女の愛 『ラフィキ:ふたりの夢』がもたらした希望

『ラフィキ:ふたりの夢』がもたらした希望

 「わたしたちは本物になろう」――。そう誓い合うのは、ケニアに住む二人の少女ケナ(サマンサ・ムガシア)とジキ(シェイラ・ムニヴァ)だ。離れて暮らす政治家の父親を持つケナは、国会議員選挙に出馬した父親の対立候補の娘であるジキと出逢う。その出逢いはケナにとって革命を起こし、二人はたちまち距離を縮めていく。しかし、同性愛行為が“違法”とされるケニアにおいて、二人の愛は厳しい試練を迎えてしまう……。

 本作『ラフィキ:ふたりの夢』は、つい先日行われた第15回アフリカ映画アカデミー賞で10部門にノミネートされ、最終的に最優秀アフリカ言語映画と最優秀編集賞を見事受賞した。ケニア映画として初めてカンヌ国際映画祭のある視点部門に出品、そのほかにも100を超える映画祭で上映され数々の賞を受賞するなど、国際的に高い評価を受けている。

 しかしながら、同性愛に不寛容なケニア本国での風当たりは強い。今年の5月にも、高裁が同性愛行為を犯罪とした刑法が合憲であることを改めて判断したことは、記憶に新しい。ケニアの検閲機関は、『ラフィキ』があまりに希望に満ちているため、ケナが良心の呵責に苛まれているような描き方をするよう編集を求めたが、監督のワヌリ・カヒウはその要求を退けた(※1)。本作が上映禁止まで追い込まれたのは、単に同性愛が描かれているからではない。同性愛が“肯定的に”描かれているからなのだ(※2)。とはいえ、映画のストーリーラインをなぞっていくと、それほどポジティブであるとは言いがたい。本作でも見受けられるように、愛し合う二人が差別や偏見によって暴力に晒される、あるいは不本意に引き裂かれてしまうエピソードは、これまでのレズビアン映画史においても幾度となく描かれてきた。「結末に誰も死なない」レズビアン映画の特集記事(※3)などが出されるのも、そんなレズビアン映画における悲劇が定型化されてきたことに由来する。

 映画史初の女性同愛者のキャラクター(※4)とも言われる伯爵夫人が、ファム・ファタルな高級娼婦に恋する挿話が描かれた『パンドラの箱』(1929年)をその萌芽とするならば、レズビアン映画の歴史の幕開けは、今から90年ほどを遡らなければならない。『噂の二人』(1961年)や『カラーパープル』(1985年)といったハリウッドの大作は、それぞれリリアン・ヘルマンとアリス・ウォーカーの原作小説に顕著であった同性愛要素を矮小化し、『テルマ&ルイーズ』(1991年)では、愛し合う女同士をその結末において「処刑」した。ないことにされ、消されることもしばしばだったレズビアンたちは、そもそも十分に、そして正当に表現されてはこなかった。

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