溝口琢矢、どんどん楽しくなっている芝居への熱い想い 「“生涯演劇人”を目指したい」

溝口琢矢、芝居への熱い想い

 12歳での役者デビューから着実に作品を積み重ね、舞台を中心に活躍の幅を広げ続けている俳優・溝口琢矢。スタッフ、そしてファンへの“感謝”を何度も口にする彼はどんな思いで役者業を続けているのか。転機のひとつとなっている5次元アイドル応援プロジェクト『ドリフェス!』でのかけがえのない経験から今後の展望まで、じっくりと話を聞いた。(編集部)

“支えられる”ことを噛み締めた『ドリフェス!』

――まずは、子役として俳優デビューするまでの経緯から聞かせてください。

溝口琢矢(以下、溝口):『どっちの料理ショー』(日本テレビ系)というバラエティ番組に、子どもがジャッジする夏休みの特別企画があって、母が応募したらオーディションに受かったんです。そうしたら当時、三宅裕司さんのマネージャーだった方が「こんな子いたよ」と事務所のキッズ部門に話をしてくださったみたいで。それと同時に、福山雅治さんが大好きな母親が、何を勘違いしたのかアミューズに書類を送っていたんです。面接に行ったら「あれ?」となって、確認してもらったら(三宅さんのマネージャーが話していたのは)「あなたですね」と(笑)。最初はモデルから始めて、小学4年生頃から現場に行かせていただいていました。

――2つのルートが同時進行するかたちで芸能界入りされたんですね。子役時代からNHK大河ドラマ『天地人』など数々の作品に出演されていますが、当時はどんな気持ちでお仕事を?

溝口:友達と遊ぶ時間が削られるので、ちょっと嫌でした(苦笑)。レッスンでは周りに男の子がいなくて、僕、トイレでずっと泣いてたんですよ。スーパーエキセントリックシアターの方たちと一緒にレッスンを受けていて、みんなできる人たちだし、志が違いすぎて。今となってはドキドキワクワクしながらやっていたような気もしますけど、当時は「お芝居なんて嫌い」と思っていました。

――そこから俳優業をスタートして、ご自身の意思で「やっていこう」と決めたのはいつ頃だったのでしょうか?

溝口:高校卒業のときです。高校在学中に「進路をどうするのか」と考える時期が来るじゃないですか。でも、僕の中には大学に行くっていう選択肢があまりなくて、そのときに「お芝居をやりたいのかも」と思いました。ただ、明確に「これで食べていくんだ」と思ったのは、そこからちょっと経ってから。いろいろと現場を踏む中で、ターニングポイントがあったことが大きいですね。

――ターニングポイントとは?

溝口:いくつかあるんですけど、学生という立場を卒業したときに、自分って本当に弱いんだなと思ったんです。19歳で『見上げればあの日と同じ空』(2014年)という戦争の舞台をやらせていただいたんですが、当時の僕は生半可な気持ちだったわけですね。今の僕なら「子どもの頃に習い事感覚でやっていたときと、志が変わっていなかったんだな」と言葉にできるけど、その頃は「一生懸命やってるのに!」と思いながらもがいていた。本当に大変だったし、それを終えて「舞台に立つにはこれほどの覚悟が必要なんだ」と知ることができました。

――みなさんと熱量の違いを感じた?

溝口:そうですね。お芝居に関して僕が下手くそなのはみんなも知ってるし、そこは誰も責めないんですよ。芝居がどうこうではなくて、やっぱり心持ち。直接は言われないですけど、「ぬるいぞ」と。演出の及川拓郎さんも、演出助手の大関真さんも、最後まで僕を見捨てずにすべてを叩き込んでくれました。一方で、それを見ていた事務所の方が、「美味しいもん食べよう」と稽古帰りに食事に連れて行ってくれたりもして。涙が出るほど支えてもらったし、こんなにダメダメなのに、それでも「あなたを選んでよかった」と言ってくれる人がいたから続けることができた。僕だけの力では、絶対に無理だったなと思います。

――それをきっかけに、覚悟を持って作品に向き合うようになったと。

溝口:実はその前に、岸谷五朗さん演出の『FROGS』(2013年)という舞台にも出演していて、そこでステージに立つ心構えの種を植えてもらった気がします。『FROGS』は体をよく動かす舞台なんですが、僕はダンスもできなければアクロバットなどもってのほかで。でも、五朗さんから「バク転とは言わないから、側転できるようになれ」と言われたんです。それから一生懸命練習してできるようになったのに、実際に見せたら「もう側転しなくていいわ。こんなの見世物になんないから」と。僕は「よくできるようになったね」という言葉を心のどこかで期待していたけど、そうではなかった。舞台で必要なのは、側転をする技術ではなくて、人を魅了できるかどうか。「ただできるようになっただけのお前の側転じゃ、観客を魅了できない。それなら、下手でも一生懸命に伝えようとするダンスの方がいい」ということだったんですけど、当時の僕は「は?」って(笑)。

――そうですよね。ステージに臨む覚悟の大切さは伝わりますが、よく折れずに芝居の道を進まれてきたなと……。

溝口:いやいや、折れましたよ(笑)。でも、家族やマネージャーさんがすごく支えてくれたんです。そこは本当に恵まれているなと思いますね。ファンの方は「素敵です」とか言ってくださいますけど、僕の後ろにどれだけの人がいて、(背中を押すようなポーズで)こうやって前に押し出してくれているか、と思います。

――先ほどから「支えられた」という言葉が印象的ですが、特に若い頃は「自分だけの力でやっている」と勘違いしてもおかしくないですよね。

溝口:僕がファンのみなさんも含めて本当に“支えられている”と思えたのは、5次元アイドル応援プロジェクト『ドリフェス!』(2016~2018年)のときですね。(DearDreamの)僕ら5人、全員ダンスなんか全然できないし、歌も全然歌えないし、「この先、何をどうするの?」というところからスタートしたんです。一生懸命ダンスもボイトレも頑張ったけど、やっぱり一番大きかったのは“応援プロジェクト”という名前の通り、周りの人たちがとにかく僕らを応援して、広めようとしてくれたことで。その集大成として、スキルの足りない僕たちが武道館で2Daysライブをやらせてもらったんですよ。その景色は今でも忘れられないですし、周囲の支えを本当に実感できる数年間でした。

――目に見えてプロジェクトが大きくなっていくのも感じますからね。ちなみに今でもメンバーの方とは連絡を?

溝口:もちろん取ってます。もう戦友みたいな感じですよね。会えば当時の話もしますし、今でも繋がっています。

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