小栗旬というスターの顔が剥がされた? 「太宰治」という特異な役を成立させた“笑い”という武器
無様に太宰を演じる小栗旬がじつにすばらしい。これまで見た男性が描く太宰にはナルシシズムが感じられるし、太宰役に限らず、地獄に堕ちても芸術や文学をとか言いながら他者(主に女性)を都合のいいように扱う行為をかっこよく演じる俳優は多い。もちろんかっこよくないと女性にモテる説得力がないわけだが、小栗旬はそういう自己正当化をけっして行わないように心がけているように見受けられた。徹頭徹尾、情けないのだ。それが女性の庇護欲をくすぐるテクニックかもしれないが、情けなさ丸出しは正妻にのみ見せ、あとのふたりにはせいいっぱいかっこつけている。その無理している感もほんとうに笑える。
2004年〜06年くらいの間、シェイクスピア劇に出ていた小栗旬をマントの似合う男ナンバー・ワンと私は思っていた。ところが今回、和式マントことトンビがそれほど素敵に見えない。太宰はいつでも居心地悪そうな風情を漂わせ、それでも精一杯かっこつけている人に見える。
美知子がいいことを言っている場面での彼の弛緩した表情。何度だって讃えたい。小栗旬、すばらしい。
ただ、唯一、手指だけは美しい。面長の頬を覆う長い指ととがった顎を乗せた手首と手のひらの境目の角度は何度映っても、どんな角度でも決まっている。そこにタバコを挟んだら尚、精巧な細工のようだ。その手が、肺を蝕まれじょじょに太宰が衰弱していくにつれ、無数の筋が刻まれていく。顔はそれほど変わらないが、手が古い木のように老いていく。そこにとてつもないリアリティーと悲しみが見えて胸をついた。特殊メイクなのだろうか。それとも痩せたからなのだろうか。この映画のために現場で倒れそうなほど減量したそうだ。
太宰は自分の生命を酒、タバコ、女……に吸い取られていく。だから、太宰が弱っていく一方で美知子も静子も富栄もどんどん美しくなっていく。ついでにいえば、太宰に愛憎を抱く編集者を演じる成田凌、静子の弟役の千葉雄大、太宰の親友役の瀬戸康史ら新世代の俳優たちもつややかで、それと比べて太宰はやせ細ってかさかさだ。その差がいい。その差こそが堕ちた底の深さだ。きらきらした“生”の世界から死の世界へと堕ちていく。
太宰の行為を坂口安吾(藤原竜也)の悪魔的なささやきが後押ししている。己の臓物を引きずり出すように書く(大意)ことができたら本望だと語ったそれを太宰は遂行する。己の命を女性によって引きずり出し、それによって輝いていく女たち、それこそが太宰治の作品。
坂口安吾役の藤原竜也が水を得た魚のように太宰を翻弄し挑発する。悪魔的に頭のきれる作家を隙なく演じている。叫ぶよりも難しい言葉を呪文のように熱と速度で語るときの藤原竜也は無敵である。東の阿部サダヲ、西の藤原竜也か(東西はどちらでもいい)。そんな彼を同世代のライバルと思っているであろう小栗は意地になってどこまでも堕ちようとする。まるでチキンレースに挑むように。ふたりは、師匠・蜷川幸雄のもとで地獄の演劇道を経験しているから、彼らが何を渇望しているか本人たちにしかわからないものを持っているのだとここで感じられる。