『なつぞら』だけじゃない!? 「バックステージもの」が描く、アニメ業界ならではのドラマの数々
アニメや漫画が日本を代表する文化になりつつある。未だに毀誉褒貶があるにはあるのだが、大英博物館で漫画の展覧会が開催されるなど、国内だけでなく、様々な場所で評価を受けるようになってきた。NHK連続テレビ小説(朝ドラ)で、アニメーション業界の黎明期を題材にした『なつぞら』が登場したことも、アニメに対する世間の注目度の変化の現れだろう。少し前には、漫画家を目指す女性を主人公にした『半分、青い。』(NHK総合)などもあった。テレビの視聴率は1%で100万人が観ていると言われた時代もあるが、朝ドラの視聴率は平均20%近くを取る。2000万人がアニメ業界や漫画家のあれこれを毎朝観ているのかもしれないと考えると、オタクバッシングが吹き荒れ、アニメが「危ない趣味」だと言われていた時代とは隔世の感もある。
『なつぞら』以外にも、2014年には、アニメ制作会社P.A.WORKSによるアニメ業界を描いたTVアニメ『SHIROBAKO』が放送され、来年2020年には劇場版の公開も予定されている。同じ頃、小説家の辻村深月が小説『ハケンアニメ!』を刊行しており、こちらは今年舞台化が決定している。先行事例として『アニメーション制作進行くろみちゃん』という作品もあったし、さらに遡れば、押井守監督の実写映画『Talking Head』にもアニメ制作会社が登場する。
こうした制作の裏側を描く作品のジャンルを「バックステージ」ものと呼ぶが、アニメーション業界のバックステージものがたくさん作られている国は日本ぐらいだろう。端的に、机に向かってカリカリと鉛筆を走らせている姿は、あまり面白い画ではない。アニメの制作現場に『雨に唄えば』のような華やかさはないし、今話題の『全裸監督』で描かれているAV業界の裏側のような、ぶっ飛んだ逸話も生まれにくそうだ。にもかかわらず、これだけアニメのバックステージものが作られているのは、アニメに関心が深い日本だからこそだろう。
そんな地味な現場を面白おかしく、エンターテイメントとして見せるものにするにはかなりの工夫を要することだろう。しかし、そんな地味な作業の現場にも実写の現場と変わらぬ愛がある。その愛を表現するためにはどんな工夫をして描いているだろうか。
無から有を生み出すアニメ現場の苦しみ
朝ドラのような国民的番組で、アニメーターが主人公として取り上げられた意義は大きい。映像作品で注目されるのは、出演者と監督ばかりのなか、裏方のアニメーターという職業にスポットを当てている。例えば、実写のバックステージもので撮影監督を主人公にする作品はかなりレアだ。筆者も観たことない。
『なつぞら』の制作統括、磯智明氏も「世界で注目されるアニメを裏側で支える人々の歴史を紐解く作品を作りたった」と語っているが(参照:朝ドラ『なつぞら』 アニメ業界を舞台にした理由)、その注目されざる裏方の、さらに当時少ない存在だった女性アニメーターを取り上げたことが『なつぞら』をさらに意義深いものにしている。結婚、出産、子育てをしながら働く女性として主人公を描き、数々の差別的待遇や女性への偏見を打ち破ろうと努めるその姿勢は、アニメ業界を超えて現代の働く女性たちへエールを送りたいという意図が見える。「女性が働くこと」に対する今日的な課題を強く意識した作品で、アニメ業界特有の問題に強くフォーカスした作品ではない。
しかし、そこで描かれる作業風景は、業界を知らない人にとって新鮮だろう。原画と動画の違い、監督や演出家と原画マンたちがどう接するのか、どういったこだわりを持って各パートの職人たちが仕事しているのかが生き生きと描かれている。とりわけ、『太陽の王子ホルスの大冒険』をモデルにしたと思われる『神をつかんだ少年クリフ』制作のエピソードは、日本アニメの歴史において重要な作品であるため、制作内部の濃厚なドラマが展開されていた。本作は原作のないオリジナル作品であることで、ヒロインのキャラクターデザインが決まらずに制作が進まない様子などがドラマで描かれていたが、実際の『ホルス』の制作も同様のことがあった。ドラマ内では仲努(井浦新)がデザインしたものが採用されたことで、制作が一気に動き出すように描かれていたが、『ホルス』においても、仲のモデルと言われる森康二氏がデザインしたヒルダが決まったことで、「混沌とした」制作現場が動き出したことを奥山氏が証言している(『日本のアニメーションを築いた人々』叶精二著 若草書房刊、P101)。
アニメは絵を描かなくては何も生まれない。無から有を生み出す作業であり、とりわけオリジナル作品は監督の頭の中にしかイメージがない。それを具体化してゆくアニメ制作の難しさの一旦を垣間見ることができるエピソードだった。オリジナルアニメを作るというのは、行き先不明の海原に羅針盤なしで繰り出すような途方も無い作業なのだ。