『はじこい』深田恭子と横浜流星が教えてくれた“無敵な自分”になること すべてが愛おしい最終話に
「私には、君みたいな無敵な時間はない。だけど、好きな色を選んで笑うのも、ムチャな道を進んで泣くのも自由。全部“自分のせい”にできる歳だ」
『初めて恋をした日に読む話』(TBS系)が、ついに最終回を迎えた。描かれたのは、人生で後悔のない選択をする難しさ。「なんで年って取るんだろう/もう背は伸びないくせに」。そんなback numberの主題歌が響く中、大人になるということは、年を重ねていくということは、その数だけ自分の選択を“自分のせい”にして、受け止めていくことなのだと、教えてくれるドラマだった。
東大二次試験当日、ユリユリこと由利匡平(横浜流星)は、交通事故に遭った順子(深田恭子)が運ばれた病院ではなく、試験会場に足を向けた。その決断こそ、これまで手を取り合って歩んできた順子の願いであると、確信できたからだ。しかし、受験を選択したということは、一刻も早く順子の様子を見に行くという道を捨てたとも言える。「そんな自分が嫌い」だと落ち込むのだった。
順子への恋も、東大受験も、「両方手に入れる」。そう断言していたユリユリ。それができると、信じることを疑わないこと。そんな“無敵な時間=若さ”は、いつの間にか過ぎ去っていく。人生を歩むうちに、厳しい選択に迫られ、自分の無力さに打ちひしがれ、そしていつしかピュアではいられなくなる。多くの人が選ぶであろう“普通”の選択肢に身を委ね、気づけば“普通の大人”になっていく。それも、ひとつの回答だ。だが、ユリユリがなりたかったのは、そんな“普通の大人”ではなく、自分の想いにまっすぐな“変な大人”だった。そう、出会ったときの順子のように……。
一方、20年近く順子に想いを寄せ続けてきた八雲雅志(永山絢斗)は、迷うことなく昇進のかかった仕事を蹴ってまで、順子のそばへ駆けつける。その選択によってキャリアは傷つき、順子からも「雅志のこと好きだよ。だけど結婚とか、恋とかの好きじゃない」と振られてしまう。だが、雅志の顔は晴れやかだ。結果として実らなかったとしても、素敵な恋ができたのだ、と。きっと、順子を想い続けることで、自分自身がピュアでいられたこと。そんな自分を好きでいられたということを、雅志は知っていたのだろう。
気づいたら誰かを好きになっていたとき、その人を想っている自分のことも好きになれる。その人のためになりたいと、努力できる自分。その人の苦しみを代わってあげたいと、涙する自分。その人が笑ってくれるなら、どんなことでもできるような気がする……それは、いつの間にか忘れかけていた“無敵な自分”に再会できる瞬間。だから、恋を手放すことは、寂しくて、悲しくて、痛い。その人のそばで笑っている“自分が好きな自分”とも、お別れしなければならないのだから。