『ヘレディタリー/継承』音楽がもたらすエレガンス ポピュラーミュージックと映画音楽は更に接近
80年代から映画音楽でも活躍するニック・ケイヴとウォーレン・エリスのコンビによる『ウインド・リバー』の音楽もまた、映画の醸す情感をたっぷりと鳴らしていた。同作は脚本家としては〈フロンティア3部作〉の最終作、監督としては初となったテイラー・シェリダンによる一本だが、エリスによる弦の調べや温かい鍵盤の音が、アメリカから見棄てられた田舎町の悲劇と寄り添っていく。ニック・ケイヴによって殺された女性の詩も朗読されるのだが、彼らの音楽の痛切な響きは間違いなくケイヴの諸作(とくにニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズの最近作である『スケルトン・ツリー』)と通ずるものである。彼の音楽活動そのものが、辿ってきた道のりが映画の物語と呼応しているようにすら感じられるのである。
日本映画において話題になったのは、白石和彌『止められるか、俺たちを』の音楽を手がけた曽我部恵一と、濱口竜介『寝ても覚めても』ではじめて映画音楽を担当したtofubeatsだろうか。実際に映画を観ると、どちらも彼らの存在が必要だったことがよくわかる。『止められるか、俺たちを』は若松プロダクションが若々しく向こう見ずだった時代を描いた青春群像劇だったが、若松孝二に少なからず影響を受けてきた曽我部恵一が若松プロダクションに所属していた白石和彌監督とタッグを組むことで、若松孝二に惜しみなく敬意を払うものとなっている。ギリギリとしたギター・サウンド、あるいは青春の苦さ自体を甘さを伴いつつ示す歌。いっぽうの『寝ても覚めても』は、世界に日本映画のニューウェーヴを印象づけた濱口竜介監督の「商業デビュー作」であるがゆえに、ポップ・フィールドとオルタナティヴを自在に行き来するtofubeatsがうまくはまったのだろう。主人公朝子が飲みこまれることになる非日常としての「運命」の不穏さが映画にはあったが、その抽象的な風合いを背負っていたのはtofubeatsのスコアだった。主題歌に当たる「RIVER」というメロウなラヴ・ソングで映画の後味を真っ向から引き受けていたのも嬉しい驚きだった。
ちなみに、tofubeatsに直接取材する機会があったので、これからも映画音楽を手がける可能性に尋ねてみると「まだわからない」とのことだったが、勝手なことを言ってしまえばぜひ挑戦してほしいと思う。というのは、新しい世代の音楽家が様々なレイヤーで映画に新しい風をもたらしているからである。これは日本でも海外でも同じことが言えると思う。