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『響 -HIBIKI-』は単なるアイドル映画ではない 平手友梨奈がまとう“危うい”オーラ

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 『響 -HIBIKI-』を観て思った率直な感想は、「“欅坂46の平手友梨奈”という存在を深く知らない人がこの映画を観た時、どんな感想を抱くのだろう」ということだった。

 映画初出演にして初主演。アイドルシーンに留まらず、音楽シーン全体としても重要な位置にいる欅坂46の不動のセンター・平手友梨奈がこれまでに築いてきた看板ブランドがなければこの大抜擢はありえないわけだが、これまでの平手の経歴を知らなければ、『響 -HIBIKI-』に抱くイメージは乱暴に言えば“アイドル映画”というフィルターだろう。アイドル映画か否か。まずはこのハードルが『響 -HIBIKI-』には立ちはだかるが、平手はそのイメージの壁を快楽と感じさせるほどに、軽く飛び越えていく。

 平手が演じる鮎喰響は、圧倒的な文才を持った現役女子高生だ。身分の上下関係を超越し、堂々とした態度で自身の感性に直結した言葉を投げつける。それはナイフのように鋭く、言葉が出なくなるほどにまっすぐな意見。天才と言われる所以は、ブラックボックスとして描かれる文才のほかにも、響の言動とオーラによって形成されていく。

 原作者である柳本光晴は、「サイレントマジョリティー」のMVを観た時から、実写化の場合、主演は平手と決めていたとコメントしているが、決め手はその目力にある。劇中序盤、文芸部の部室にたむろする不良の指を平気で折るシーンで目力がクローズアップされる。デビューシングル『サイレントマジョリティー』で、平手がモーセの十戒の如く歩いてきたように、『NHK紅白歌合戦』(NHK総合)でも披露され話題となった「不協和音」の見るものの有無を言わせない鬼気迫る「僕は嫌だ!」のフレーズのように、平手は何度となく我々の想像の域を超えてきた。もちろん、それは欅坂46としてのグループによるパフォーマンスが大きい。しかし、7thシングル『アンビバレント』まで全作品のセンターを務めてきた平手は、やはり圧倒的なカリスマ性を持ったメンバーの1人であることは間違いないのだ。

欅坂46 『不協和音』

 平手は作品の中で、役作りなどはせずに、等身大の自分で挑んでいる。作品の中にいるのは響であるが、どこか平手のイメージと被らせて見てしまうのは、信念の塊であることと彼女がまとう危うさが限りなくマッチしていることにある。劇中には絶対に自分の信念を曲げない響に、担当編集としてつく花井ふみ(北川景子)が翻弄されるシーンが幾度となく描かれる。100か0かという、まるで諸刃の剣のような響の立ち振る舞いに、編集長の神田正則(高嶋政伸)は頭を抱えるが、良くも悪くも平手にもそんな言動はしばしば見受けられる。今回の上映開始にあたり、平手は様々なメディアに露出しており、その中で監督の月川翔に脚本がつまらないと意見したことが明かされている。それは大人が聞いてもなるほどと思う意見だったといい、劇中で芥川賞作家の鬼島仁(北村有起哉)や、響と同タイミングで新人賞を受賞する田中康平(柳楽優弥)に真っ向からぶつかっていく姿と重なる部分がある。

      

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