すべての地獄を生きる者たちよ、シコを踏めーー小川紗良の『菊とギロチン 』評

小川紗良の『菊とギロチン』評

大正の終わりと平成の終わりをつなぐ風穴

 泣き顔が良いと言われたことがある。はらわたが煮えくり返るほど悔しい思いをしている時に。とても屈辱的だった。その相手以上に、泣き顔なんかを見せてしまった自分と、何も言い返せなかった自分に腹が立った。そして心の底から思った、「強くなりたい」と。

 戦争、震災、貧困、労働、女性、暴力、朝鮮、琉球……『菊とギロチン』には様々な立場で地獄を見ながらも、「強くなりたい」と願う者たちがいる。これでもかと盛り込まれた“権力と弱者”の対立構造。いつもカメラは弱者の側にあり、彼らの見てきた地獄とその生き様を映す。「東京は地獄だ」「ここも地獄だ」。被災者も、自警団も、在郷軍人も、朝鮮人も、主義者も、小作人も、男も、女も、誰もがどこかで苦しいものを見ていた関東大震災直後の日本。どこにもいけない彼らはそれぞれの土俵でひたすらシコを踏みながら、「強くなりたい」と願うしかなかった。

 映画の中で繰り返し使われる覗き穴のような画。その先には、女力士や主義者の様子が映される。あの穴を覗いているのは一体誰なのか?と思いながら映画を観ていた。そして最後まで観終わって、覗き見ていたのは紛れもなく平成を生きる私であることに気づく。『菊とギロチン』は明らかに、大正の日本を映すことで現代を語る映画だ。“主義者と女力士”という一見時代錯誤なモチーフを使いながらも、そこで問われているものは現代の労働問題や家庭問題、人種問題、ジェンダーに関する問題などに直結するものばかりだ。だから、平成を生きる私が女力士たちの姿を見て、「強くなりたい」と共鳴することができる。『菊とギロチン』は大正の地獄を描いたが、それを観る私たちがいるここもまた、案外地獄なのかもしれない。そうでなければ、この映画に心を動かされることなどなかっただろう。繰り返される覗き穴、あれはきっと大正の終わりと平成の終わりをつなぐ風穴なのである。

 この映画には女力士たちが身体をぶつけ合いながら相撲をとるシーンがいくつもあるが、特に印象に残った試合がある。それは在郷軍人や自警団が会場から姿を消した直後の、梅の里(前原麻希)と羽黒桜(田代友紀)の試合だ。監視の目を離れ自由となった途端に、会場はそれまで以上に大きな盛り上がりを見せる。力士も、客も、勧進元も、皆が純粋に相撲を楽しみシコを踏み歓声をあげる。その試合の土俵はまるで、ほぼインディーズ体制で制作された本作の流れるスクリーンそのものであった。大きな組織に頼らずとも本当に作りたいものを、そして本当に良いものを作ろうとする監督・キャスト・ スタッフの圧倒的意思。そしてその画面に惹きつけられていく私たち観客。あの試合のシーンは、この映画自体のもつ構図とまるで同じであった。思わず「インディーズ映画」の意味を問い直したくなるほど、強度の高い映画である。

 ところで、“シコを踏む”というのは力士の稽古や準備運動の他に「邪気を祓い清める」「地の神様を鎮める」といった意味があるという。相撲はもともと神前で行われていた競技であり、縁起の良いものだ。それにも関わらず、映画でも描かれている通り女が土俵に上がると神様が怒るのだという。また、女相撲は時に卑猥な目で見られ、力士の格付けにおいても男相撲に遠慮して「横綱」が存在しなかった。“女である”というだけで相撲のあり方がこうも違う。神を鎮める行為すら、女がやれば逆鱗に触れる。どんなに稽古したって、結局その辺の男に力で負ける。そんな矛盾をはらんだ女相撲のあり方も、この映画の中で印象的である。女が土俵に上がると神の怒りで雨が降るので、干ばつが起こるとその土地に女相撲が呼ばれたという。実際に映画の中でも雨が降るが、あの雨を降らせたのは本当に神様なのだろうか? 雨を降らせたのは、この矛盾に満ちた世に怒る作り手であり、そこに共鳴する我々観客ではないだろうか。

 それでも、女力士たちはシコを踏む。主義者も、朝鮮人も、小作人も、それぞれの土俵で彼らなりのシコを踏む。『菊とギロチン』は絶えず「地獄だ」「弱いやつは何も変えられない」「結局ダメなんだ」「弱いやつは一生弱い」と、弱者の絶望を唱える。しかし映画のラストは、それでも土俵の上で戦い続ける女力士たちの姿で締められている。そのどん底の景色は、なぜか希望的に感じられた。最後に映されたのは「戦い続ければきっと変えられる」という彼女たちの希望である。「変えるために強くなりたい」という泥だらけの願望である。その光がわずかにでも見える限りシコを踏み続けるべきだと、この映画は鼓舞している。平成の終わり、すべての地獄を生きる者たちに、『菊とギロチン』はシコを踏めと叫んでいる。

■小川紗良
1996年生まれ。女優、映画監督。甲斐博和監督作『イノセント15』、岩切一空監督作『聖なるもの』で主演を務め、各国の映画祭で女優として高い評価を得る。
監督として3年連続で「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」に参加。最新作『最期の星』は、第40回ぴあフィルムフィスティバル・コンペティション部門で入選。また2作目の監督作である「BEATOPIA」は、9月29日(土)より渋谷ユーロスペースでコンピレーション作品「愛と酒場と音楽と」内の1作品としてレイトショー公開が決定。

■公開情報
『菊とギロチン』
テアトル新宿ほかにて公開中
監督:瀬々敬久
脚本:相澤虎之助・瀬々敬久
出演:木竜麻生、東出昌大、寛一郎、韓英恵、渋川清彦、山中崇、井浦新、大西信満、嘉門洋子、大西礼芳、山田真歩、嶋田久作、菅田俊、宇野祥平、嶺豪一、篠原篤、川瀬陽太
ナレーション:永瀬正敏
配給:トランスフォーマー
2018年/日本/189分/カラー/シネスコ/DCP/R15+
(c)2018 「菊とギロチン」合同製作舎
公式サイト:http://kiku-guillo.com/

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