『ゴースト・イン・ザ・シェル』なぜ賛否両論に? 押井守版『攻殻機動隊』と比較考察
それよりも大きく異なる点は、そのようなカタルシスを発生させるために、スカーレット・ヨハンソンが演じる少佐の感情描写に、かなり重きを置いているという部分である。本作をより広い観客に理解させ、娯楽作品としての価値を高めるため、とにかく分かりやすくしよう、感情移入させようという意図を強く感じるのである。そこは、あらゆる異物を取り込んで娯楽作の文法に落とし込んできた、ハリウッド映画のたくましさを感じるところだ。
スカーレット・ヨハンソンの、表面的に感情を抑制させるサイボーグを模した動きと、その上で、内に宿る魂を感じさせるような、あたたかみを感じる演技は非常に繊細である。そこには押井守監督版にはない、分かりやすく情感にうったえかける説得力がある。それは今回の制作の過程で作り手が、『攻殻機動隊』の分かりにくさや、感情移入を促す描写の少なさを認識した上で、それとは逆のアプローチによって、人間の存在に光を当てることを選択したからであろう。原作の要素を使って多くの観客の共感を得るという意味では、本作のベースとなっている押井守監督版より、むしろそこから派生した、神山健治監督の『S.A.C.』や、黄瀬和哉監督の『ARISE』に近いものだといえる。そこで疑問なのは、『攻殻機動隊』が分かりにくく、さらに共感を呼びづらい展開でありながら、海外で広く受け入れられたという事実は、何を意味しているのかという点である。
その成功を決定づけたのは、おそらく押井守監督の特異な作家性にあるだろう。キャラクターが年をとらずに、終わりのないドタバタを描く漫画、アニメならではの予定調和的な世界を、美しい悪夢として皮肉をこめ表現した『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は、押井監督が初めて自身の強い作家性を、映画という媒体で発揮した作品である。また、正義を守るはずの巨大ロボットが、整備上の問題や組織のしがらみによって、なかなか軽快に活躍してくれないという鈍重なリアリズムをともなった『機動警察パトレイバー』も、ジャンル的魅力をいったん否定することによって面白さを獲得している。あたかもそれは、跳躍など古典的な振り付けをほぼ排除することによって、バレエに新しい可能性を示したロシアのバレエダンサー、ニジンスキーのような挑戦的姿勢を思い起こさせる。『攻殻機動隊』も、このような反アニメーション的な姿勢を示した上で、しかし、これもやはりアニメーションなのだということに気づかせてくれる、先鋭性を継続するものである。そして軽快な楽しさや即物的な快感を与える従来のアニメのセオリーや文法から逸脱していく違和感というのは、むしろ作品に映画としての普遍性を与えることに寄与しているといえるだろう。
そういった意味において、作り変えられた『ゴースト・イン・ザ・シェル』は、それら違和感を払拭することで、一般的な感覚に近づくように見えながら、じつはジャンル作品の枠の中に依然としてとどまるという選択をしたといえるかもしれない。この違和感をより継承していたのは、実写映画でありながら、漫画やアニメのような、リアリティから解放される世界観を再現することにこだわることで、映画ファン以外の観客にも広く影響を与えることになった『マトリックス』の方だったのではないだろうか。
本作は、スカーレット・ヨハンソンが少佐を演じるということで、一部から「ホワイトウォッシュ(本来の人種を差し置いて、主役を白人に置き換えることで特定の人種の職を奪うこと)」ではないかという議論が起こったことで、アメリカ本国では興行的な面において打撃を受けたといわれる。たしかに、人種差別問題が再び大きな課題として取りざたされている現在、この判断は時流に反するものとして批判され得る要素を持っているのも確かであろう。しかし人種問題とはまた別に、姿かたちなどいくらでも交換可能という本作の設定のなかで、彼女の演技は確かに内面に潜むゴーストの存在を感じさせるところがあった。その意味で、彼女は役者として見事に草薙素子を演じていたように思える。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。
■公開情報
『ゴースト・イン・ザ・シェル』
全国公開中
監督:ルパート・サンダース
出演:スカーレット・ヨハンソン、ビートたけし、マイケル・ピット、ピルー・アスベック、チン・ハン、ジュリエット・ビノシュ
配給:東和ピクチャーズ
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公式サイト:ghostshell.jp