追悼・鈴木清順 不世出の天才監督が映画界に残したもの 

 2001年にシネセゾン渋谷でニュープリント版としてリバイバルされたときから幾度となく鑑賞している筆者だが、何度観ても、何故面白いのか説明ができない。それこそ最近の「ガルパンはいいぞ」と同じ心境だ。「清順はいいぞ」としか言いようがない。役者の演技からは徹底された演出が垣間見えるし、画面の構図も美術もすべて完璧。セリフはどれも印象的なものばかりで、なのに、なぜか筋書きだけが凡人には到底理解できない境地に達している。これは天才のみが為せる仕事だ。

 気が付いてみれば、筆者が生まれた89年からこれまでで、彼の監督した作品はわずかに4本。リアルタイムで観ることができたのは、2000年に公開された『ピストルオペラ』が初めてなのだが、それをテアトル新宿のスクリーンで観たとき(そう、これが初めての清順映画体験だった)、何が起きているのか小学生にはとても収拾できるはずもなかった。

 殺し屋集団“ギルド”に属するナンバー3の野良猫が、ナンバー1の百眼を殺すことを命じられる。プロットだけではあまりにもシンプルなのに、韓英恵演じる謎の少女や、車椅子に乗った殺し屋“生活指導の先生”など、注意を逸らしにかかるキャラクターが勢ぞろい。それでいて、東京駅に始まり、富士山の前で終わるというアッパレな展開に、呆然とするばかり。

 その不可解な画面に、それまで培ってきた「映画」というものの概念をすべて覆されたような気がしたのだ。いや、間違いなく覆された。好奇心旺盛な時分に、このようなものを見せられては、虜にならずになんていられない。それゆえ、個人的にはこの『ピストルオペラ』か『ツィゴイネルワイゼン』が、清順のベスト作品であると思っている。

 だからこそ、2005年に制作した『オペレッタ狸御殿』が遺作となってしまったことが残念でならない。美空ひばりをCGで蘇らせたこと以外、ことごとく物足りないのだ。もっとも、監督業以外にも俳優業を行っていた清順は、昨年公開された原將人の『あなたにゐてほしい』が遺作という見方もできる。それにしても、もう一本でいいから“清順美学”に没頭できる映画を、このすっかり凡庸になった日本映画界の中で撮って欲しかったと言わずにはいられない。

 数年前に、トークショーの場に車椅子に乗ったまま現れたのが、清順が公に姿を見せた最後だろうか。その頃から、もちろんこの日が来ることは覚悟ができていた。昨年の秋に大正浪漫三部作のプロデューサーだった荒戸源次郎が亡くなり、晩年の作品に出演した平幹二朗も亡くなり、それだけでなく大勢の日本映画界を支えてきたレジェンドがこの世を去ってきた。さらに『ツィゴイネルワイゼン』のロケ地にもなった鎌倉の切り通しは通行止めになっていやがる。そうなれば、93歳、大往生ではないか。

 映画は「芸術」なのか「娯楽」なのかという無粋な問いに、映画ファンなら一度は直面したことがあるだろう。おそらく、“アバンギャルド”だと形容される清順の映画は、前者の方に傾倒しているとレッテルを貼られ、敬遠してきた人も少なくないだろう。でも違う。清順の映画は100%の「芸術」と、100%の「娯楽」が一寸の抜かりなく組み合わされた200%の映画ばかりだ。だからこそ、「芸術」として観れば“清順美学”で作り出された「芸術」であり、「娯楽」として観れば他の追随を許さない圧倒的な活劇なのだ。

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