『ジェイソン・ボーン』はどう生まれ変わった? リアリズムを深化させた脚本と映像

『ジェイソン・ボーン』の新しさ

 アメリカ同時多発テロの衝撃から間もない2002年、世界が緊迫した状況のなか公開されたスパイ映画『ボーン・アイデンティティー』から始まる「ボーン・シリーズ」は、いくつかの斬新な試みによって、アクション映画に画期的な変化を与えた作品として知られる。

 『ボーン・アイデンティティー』の魅力の柱となるのが、アクションのリアリズムである。実際にアメリカ軍や警察で用いられている、フィリピンの格闘術を源流とする素手やナイフによる殺傷力の高い攻防、ライフルによる殺し屋同士の遠距離での戦闘描写など、その「非映画的」ともいえる迫真的で殺伐とした活劇が、当時はかなり新鮮だった。さらに、記憶喪失になった最強のCIA暗殺者という、荒唐無稽なキャラクターを演じるのが、ハーバード大学の入学経験があり、20代でアカデミー脚本賞を受賞した天才的な頭脳を持った俳優マット・デイモンであったというのも、ある種リアリティを裏付けることになった。そして「隣のかっこいいお兄さん」といった風情のロマンティック過ぎない外見も、また見事に作品にフィットしたといえるだろう。

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 「ボーン・シリーズ」が飛躍的な発展を遂げたのが、2作目『ボーン・スプレマシー』だ。ここでは、前作から継続されるリアリズム表現に重ねるかたちで、実験的とまでいえる、あまりにも素早いカット割りと、目まぐるしく移動し揺れ続けるカメラのドキュメンタリー風のはたらきによって、アクション表現を従来の映画とは異なる境地に突入させてしまった。そして、スパイ映画の本家たる「007シリーズ」(『カジノ・ロワイヤル』や『慰めの報酬』)、「96時間シリーズ」など、その後の娯楽活劇の大きなひとつの方向性を指し示したのである。これによって「ボーン・シリーズ」は実質的に、主演のマット・デイモンと、2作目から演出を手がけたポール・グリーングラス監督のものとなったのだ。

 この特徴的な、せわしないカメラの動きというのは、一部の観客に拒否反応を与えているというのは事実だろう。CIAとボーンとの終わらないハイレベルな「鬼ごっこ」を、カメラの動きによって、実際以上に深刻なものに見せかけているということのばかばかしさが存在するのも確かである。監督が指揮するカメラマンたちは、いつでも無意味に上体を揺らしたりしながら撮影しているのだ。例えば、マイケル・ベイ監督の『トランスフォーマー』が、「ただガチャガチャした見にくい映像」だと評価してしまう観客が多いように、これらは「見やすく整理された映像」を好む価値観においては除外されてしまう手法なのである。

 絵画史のなかに「フォーヴィスム(野獣派)」という流れがある。これは、20世紀のはじめに流行していた、強烈なタッチと色彩を持つ作品を見た批評家が、「まるでフォーヴ(野獣の檻)のなかに閉じ込められたようだ」と表現したことから始まる。このような絵画と対峙するとき、今まで檻の外から野獣を受動的に眺めていた鑑賞者は、作品に巻き込まれ能動的に作品に参加せざるを得なくなった。

 人間の視認の限界に迫ろうとするグリーングラス監督の試みは、一種の「挑戦」を観客に投げかけているといえる。だから観客の側も野獣の檻に入るように、積極的に視認しようという意志を持つことを迫られる。従来の受動的な楽しみ方を期待する観客にとって、それが不快なものとして映るというのは、当然といえば当然であろう。

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 主人公の名前をそのまま引用した本作『ジェイソン・ボーン』では、その取り組みがさらに深化する。それは、本作のアクションの多くが「夜間撮影」になったということに尽きる。そこには、多くのハリウッド映画のようにたくさんの照明を駆使した「昼間のような夜」ではなく、「ボーン・シリーズ」のリアリティにふさわしい闇と陰影がある。暗い場所で映像を撮影したことがある人には分かるだろうが、照明を抑えカメラを動かしながら、最低限のクォリティーを保ち続けるということは非常に難しい。本作は、『グリーン・ゾーン』でも見事な夜間のアクション撮影を行ったバリー・アクロイドが中心となり、今までのように尋常ではないカメラの動きを暗闇のなかで行おうとする。ときに手持ち撮影で、ときに途方もない大がかりな可動式クレーンを利用して、彼らはさらに視認の限界に挑戦し、ときに能動的に映像を追う観客さえをも置き去りにする。この視認の可否のエッヂの上をふらふらし続ける映像を追う体験は、まさに「恍惚」である。

 本作が深化したのは、映像面だけではない。「ボーン・シリーズ」は、これまでの3部作ですでに完結している。ここに似たような物語を付け足すだけでは、ただの蛇足になってしまうだろう。だから主演のマット・デイモンは、納得できるような脚本が出来なければ出演はしないと発言してきた。そうして『ボーン・アルティメイタム』から9年経ち、自身がアカデミー脚本賞を受賞している彼が、もう一度ジェイソン・ボーンを演じたという事実は、その価値のある脚本が書きあがったということを意味している。

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