KGDRが解説する、ヒップホップ名作映画とその影響 Kダブ「『ワイルド・スタイル』には歴史的価値がある」

KGDRが語るヒップホップ名画の影響

Kダブ「当時はレコードを発表することが、あまり格好いいと思われていなかった」

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『ワイルド・スタイル』場面写真

Kダブ:ところで今作に出てくるラッパーは、実は音源ではあまり作品を残していないんですよね。当時はラッパーがレコードを発表するということは、あまり格好いいものとは思われていなくて、映画のようにブロックパーティーにみんなを集めて、そこでラップを見せることのほうが本流だという考え方があったようです。

Zeebra:現場でラップを披露するときは、リズム&ブルースとかジャズ、ファンクなどのレコードを2枚使ってライブしていたんですけど、ラップの音楽をレコードに収録する際にはバンドに同じフレーズを弾きなおさせていたので、ブレイクビーツの雰囲気が出せず、それほどかっこよく仕上げられなかったんじゃないかと、自分は思います。

Kダブ:ライブシーンの豆知識をいうと、グランドマスターフラッシュが行ったライブの様子は、音声の調子が悪くて使われなかったんだけど、そのあとにもう一度撮影しなおした場面が映画に使われた。

Zeebra:ダブルトラブルは、ライブのシーンなどで本気で怒っているように見えるけど、あれは撮り直しをさせられたせいなのかな。

Kダブ:彼らは当初からこの映画に出演することは決まっていたものの、シュガーヒルレコードの女性社長だったシルビア・ロビンソンが、自分の会社の契約アーティストの自由を束縛するようなタイプの人間で、彼女は映画監督に出演拒否の意向を示した。そこで怒ったダブルトラブルが自分たちの意思でグループを辞めて映画に出演したという経緯があるので、本来ならば不機嫌な様子はないと思うけれども、映画のラップのシーンでは、俺たちの自由にやらせてもらうぜ、という女社長へのメッセージのような歌詞がある。その辺の怒りがリアルに現れているのかも。

Zeebra:ちょうど83年くらいからヒップホップの映画がたくさんできて、ミュージシャンたちも出演しまくっていたけど、その先駆け的な存在が『ワイルド・スタイル』でしたね。

Kダブ:ただ、たしかに『ワイルド・スタイル』がヒップホップの黎明期、創成期の映画だとはよくいわれますが、実際にヒップホップが誕生したのは1973年くらいで、これが上映される10年くらい前なんですよ。映画に出演している人たちの演技から滲み出ている文化的・技術的なイメージを見ると、ちょうどヒップホップというカテゴリーがある程度、完成されたのがその頃だということがわかります。そこから新たに広がるきっかけとなったのがこの作品だったのでしょう。ただ、先ほども少し触れましたが、この映画に出演したミュージシャンたちがこれほど脚光を浴びたのに、そこからはまったくヒット作品を出していないのは、少しさびしく感じます。映画が発表された後からは、デフジャムレコードのようにドラムマシーンやブレイクビーツで曲作りをするような、今までとは違うスタイルが主流になり、シュガーヒルレコードのような音源は時代遅れとされたんです。

Zeebra:出演者にヒット作がないということも、この映画の資料的な価値を高めているようにも思います。『ビート・ストリート』や『フラッシュダンス』などの同時期の映画は、ハリウッドでエンターテイメントとして作られたものですが、『ワイルド・スタイル』はドキュメンタリー色も濃いです。

Kダブ:ほぼ、ドキュメンタリーといって良いと思います。実際のアーティストたちが演じていますから。32年余り経ったいま、この映画を観ると、当時のサウスブロンクスのヒップホップシーンすべてを見てまわれるような、まるで博物館を見ているような印象を受けます。その頃のサウスブロンクスは、荒れてて、貧しくて、本当に何もなくて。そこからヒップホップが育っていったことを捉えたという意味でも、歴史的な価値がある作品といえるのでは。

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