クリスマス、イエス・キリストの誕生日ではない? 意外と知られていない起源を紐解く

 

  早いもので2024年も11月を迎えた。これから12月のクリスマス、年末年始とイベントが迫ってくる。たとえばつい先日まで盛り上がりを見せていたハロウィンがクリスマスやバレンタインデーと同じ西洋由来のイベントなので何となくキリスト教関連と思われているかもしれない……。だがハロウィンの起源とキリスト教は全く関係ない。実はキリスト教ど真ん中のイベントであるクリスマスもキリスト教とは異なる要素が含まれているのをご存知だろうか。今回は日本で浸透しているクリスマスについて、その起源を解説していく。

(左から)植田重雄(著)『ヨーロッパ歳時記』、 鶴岡真弓(著)『ケルト 再生の思想——ハロウィンからの生命循環』

  なお、本稿は植田重雄(著)『ヨーロッパ歳時記』、 鶴岡真弓(著)『ケルト 再生の思想——ハロウィンからの生命循環』を全面的に参考にしていることをお断りしておく。

■クリスマス 実は誰も知らないイエス・キリストの誕生日

20241020-AnnieSpratt(Unsplash)

  まずよくある誤解なのだが、12月25日(クリスマス)はイエス・キリストことナザレのイエスの「誕生日」ではない。「誕生を祝う日」である。

 なぜ、誕生日でもない日に誕生を祝うのかだが、これは致し方ない理由がある。キリストの誕生日について、聖書にも歴史書にも明確な記述が無いのだ。いつなのか推測しようにも、日付を推測するに足るだけの根拠がない。そのため、いつを誕生を祝う日とするか恣意的に決めざるをえなかったのである。

 だが、時期については推測ができる。新約聖書の『ルカによる福音書』によると、イエス・キリストことナザレのイエスはマリアとヨセフが皇帝アウグストの命により、住民登録のためベツレヘムに帰った時に生まれたとされている。同じく、『ルカによる福音書』に「その夜、町はずれの野原で羊飼いが羊の番をしていた」との描写がある。その羊飼いたちは「救い主(キリスト)が今夜生まれた」と天使からお告げを受けるのだが、この二つの描写から推測できることがある。

  まず、住民投票のためヨセフとマリアはナザレからベツレヘムまで移動をしている。キリスト誕生は西暦0年前後と考えられているが、車も電車も飛行機も存在しない時代なので、当時の移動は重労働である。また、羊飼いたちが夜に外で羊の番をしていた描写がある。軽く調べてみたが、温暖化が問題視される現代でも、12月のベツレヘムの最低気温は摂氏6℃だ。

  この二つの描写から、キリストの誕生日が寒さの厳しい冬だったとは考えにくい。クリスマスは年末の特に寒さが厳しい時期なので、聖書の描写を信じるならばキリストの誕生日が12月25日である可能性は低いだろう。加えて、一般的にキリストの生まれた年は紀元0年だと思われているが、それもおそらく違う(紀元前6年から4年ごろと考えられている)ので、「イエス・キリストは西暦0年12月25日生まれ」は誤りということになる.

 では、なぜ12月25日なのか? 12月25日がキリスト教誕生以前の古い信仰にとって重要な日だったからである。

■冬至 太陽が生まれ変わる日

 「宣教のための異教の慣習の取り込み」であったか、「伝統社会の重要な慣習をキリスト教会が活かす形で結果的に残した」のかは解釈が分かれるところだが、事実としてキリスト教会はキリスト教以前の祭日に重ねる形でカレンダーを作ってきた歴史がある。

 2月2日は聖母マリアのお浄めの祭日である「聖燭祭(キャンドルマス)」だが、その前日の2月1日はケルトの祭日「インボルク」である。2月は古代ローマにおいても浄化の月であり、2月1日に軍神マルスの母フェブルアの神話に基づき松明で辻々を一晩中明るく照らす慣習があった。2月は英語で"february"だが、名前の由来はご推察通り「フェブルア」である。この浄めの祭日が、キリスト教の布教後に聖母マリアの祭日として置き換わった歴史がある。ハロウィンは諸聖人の日の前日だが、ハロウィンはケルトの土着信仰であるサウィン祭をベースとした祭日であり、こちらも同様にキリスト教以前の祭日に重ねる形でカレンダーがつくられた例である。

  クリスマスもこれらと同様の経緯で定められた祭日である。12月25日は古い暦における冬至である。日が短くなり、太陽が弱くなるこの日、北欧では太陽が悪い狼に食い尽くされ闇が支配すると考えられていた、そのため、太陽に力を与えるべく大きなかがり火を焚いて太陽の蘇生を祈った。太陽は数々の文化圏で神格化されてきたが、エジプトのホルス神、ペルシャの太陽神ミトラを祀る祭日も同様に12月25日の冬至だった。

  日が短くなるこの日を「太陽が生まれ変わる日、新しい太陽が誕生する日」と考えたためである。クリスマスが12月25日に定められたのは325年のニカイア公会議以降のことだが、太陽神ミトラを祀るミトラ教は当時のローマ帝国内で広く流布していた。キリストの誕生を祝う日をいつにするか、教会は長年模索してきたが、「新しい太陽が誕生する日」こそ「世の光」たる救い主イエス・キリストの誕生を祝う日にふさわしいと考えたのである。それ以前、キリストの生誕を祝う日は1月6日だったが、こちらについては現在ではイエスがヨハネから洗礼を受けて宗教的自覚の誕生を遂げた日「公現祭」として祝われている。

■クリスマスツリー、サンタクロース、クリスマスプレゼント

 さて、以上からキリスト教の重要行事であるクリスマスは実はキリスト教と全く無関係の祭日からその日が定められたことがお分かりいただけたかと思う。では、クリスマスの典型的イメージである「クリスマスツリーを立ててサンタクロースがやってきて、靴下にプレゼントを入れていく」というものは何に由来するのだろうか?

  まず、クリスマスツリーだが、その起源は17世紀のドイツと考えられている。記録によると1605年にエルサス(現在のフランス領アルザス)地方のシュレットシュタットという小さな町で、クリスマスに樅の木を部屋に建て、枝にビスケットやリンゴをつるして飾ったという。

  他にもクリスマスツリーの記録はあるが樅の木でなければならないルールは無く、常緑樹であればなんでもよかったようだ。常緑樹を飾るのは、病や災いから身を守るキリスト教が広まる前の古い習慣である。クリスマスが12月25日になったのと同じく、こちらもルーツをたどるとキリスト教布教以前の異教にたどり着く。

  クリスマスプレゼントについては有名だろう。こちらのルーツは、はっきり新約聖書の記述にある。キリストが生まれた時、「東方の三賢人」と呼ばれる占星術学者たちが贈り物を持ってやってきたというエピソードに由来する。

  プレゼントを運んでくるとされているサンタクロースについてはまた起源が異なり、実在した聖人、聖ニコラウス(ミラのニコラオス)の故事に由来すると言われている。貧しさのあまり3人の娘を身売りしなければならなくなる家族の存在を知ったニコラウスが、真夜中にその家を訪れ、窓から金貨を投げ入れた。このとき暖炉には靴下が下げられていており、金貨はその靴下の中に入った。この金貨のおかげで家族は娘の身売りを避けられた、という逸話である。プレゼントを靴下に入れる習慣はこの故事に由来する。

  ところで12月6日は聖ニコラウスを祀る聖者の日なのだが、その前の夜は「ニコラウスの夜」といい、ニコラウスが3、4歳から6、7歳ぐらいまでの子供のいる家に両親の申し出で訪問する。その際、ニコラウスはルプレヒトとかクラムプスというお伴を連れているのだが、ドンドンと戸を叩いて家に入り、その家の子供に1年間どんなイタズラをしたか、両親の言いつけを守ったかなどを叱ったり諭したりする。

  最後に子供の望むプレゼントを渡し、来るクリスマス祝福する。ニコニコ笑っている好々爺のサンタクロースと違い、小さな子供にとっても結構な恐怖だろう。年の瀬に来訪する年神としての役割もあることから、ニコラウスと日本のなまはげは民俗学的な類似性を指摘されている。意外な共通点だが、やはり同じ人類なので考えることは何となく似てくるのであろう。

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