ハロウィン、キリスト教のお祭りではなかったの? 意外と知られていないルーツ「サウィン祭」を解説

photo:Beth Teutschmann(unsplash)

  早いもので2024年も年の4分の3が過ぎてしまった。これから12月のクリスマス、年末年始とイベントが迫ってくるわけだが、近年になってわが国で年末前の時期のイベントとして流行り始めたものがある。

 ハロウィンである。

  日本でハロウィンが初めて取り上げられたのは1970年代で、玩具販売店であるキデイランド原宿店が取り上げたものである。以降、ハロウィンはイベントして決してメジャーなものではなかったが2010年代になってから急速に流行り始めた。近年になってのハロウィンの盛り上がりは明確なきっかけがあったわけではなく、SNSによる自然発生的な要素が強いようだ。問題にもなっているが、毎年10/31になると渋谷の路上がコスプレした若者で溢れかえる光景は今や風物詩と言っても良いだろう。

  さて、ハロウィンだが、その起源については恐らくほとんどわが国では知られていない。クリスマスやバレンタインデーと同じ西洋由来のイベントなので何となくキリスト教関連と思われているかもしれない……のだが、実はハロウィンの起源とキリスト教は全く関係ない。また、実はキリスト教ど真ん中のイベントであるクリスマスもキリスト教とは異なる異教の要素が含まれている。今回は日本で浸透している外来のイベント、主にハロウィンについて、その起源を解説していく。

(左から)植田重雄(著)『ヨーロッパ歳時記』、 鶴岡真弓(著)『ケルト 再生の思想——ハロウィンからの生命循環』

  なお、本稿は植田重雄(著)『ヨーロッパ歳時記』、 鶴岡真弓(著)『ケルト 再生の思想——ハロウィンからの生命循環』を全面的に参考にしていることをお断りしておく。

■ハロウィンの起源 サウィン祭

  ハリウッド映画をよくご覧になる方であれば、ハロウィンは主に子供のお祭りのイメージが強いかと思う。日本で初めてハロウィンを扱ったのは前述のとおり玩具店のキデイランドだが、それはおそらく、日本のハロウィンがアメリカ経由で持ち込まれたものだからだろう。

  では、アメリカにハロウィンを持ち込んだのは?それはアイルランドからの移民である。アメリカは国民の大多数を占める移民が今日の基礎を作った国だが、ジャガイモの不作を原因とする19世紀の大飢饉をきっかけに多くのアイルランド人がアメリカへと移民した。その際にアイルランド移民によってもたらされ、アメリカで独自の変化を遂げたのがアメリカ式のハロウィンであり、子供のための仮装パーティとしてのハロウィンはルーツのアイルランドとは異なるアメリカ式のハロウィンである。日本のハロウィンは恐らくアメリカ経由で流入したものであり、ルーツとなるハロウィンとは異なったものである。

 もともとのハロウィンの姿を知るには、アイルランドで多数派を占める民族である「ケルト民族」の伝統祭事「サウィン祭」について知る必要がある。

  まずケルト民族とは主にイギリス、アイランドに先住していた民族である。その他、スペインのガリシア地方、フランスのブルターニュ地方にもケルト民族は存在し、文化はある程度残っているが、アングロサクソンに侵略されて非支配者側にまわったイングランドはその色は薄くなった。ケルト文化が色濃く残るアイルランド、スコットランドなどで祝われていたのがハロウィンの原型であるサウィン祭である。ケルト人は1年を夏=光と冬=闇に二分して考えており、サウィン祭の行われる10/31の前夜祭と11/1の祝祭は夏の終わりと冬の始まりであり、1年の終わりにしてはじまりだった。この時期はケルト人の信仰では、死と生の壁が取り払われて時空が交流し、祖霊や死者からエネルギーがもらえると考えられていた。敢えて例えるならお盆と大晦日が一緒になったような日である。

  では、ハロウィンでも特に有名な要素である「仮装パーティ」と「トリックオアトリートの決まり文句でお菓子を貰う」はどこから来たのだろうか?

 まず、仮装だが、サウィンの時期は祖霊が帰ってくるが、それと同時に自然の精霊、デーモンや魔女など悪しきものも呼び寄せると考えられていた。仮面をかぶり、布をかぶって仮装してそういった悪しきものから姿を隠して身を守ったというのが由来である。現代のハロウィンで何のコスプレをしようと自由だが、本来の意味を重視するならハロウィンでは魔女やデーモンの仮装をするのが正当である。

  お菓子を貰うことについては、サウィンの捧げものに由来する。サウィンは祖霊や死者たちが家々に帰ってくる日で、死者と交流する日でもあった。今日のサウィンで贈られるカードにも「祖先と親しい死者たちを思い出しなさい。そして彼らを家に招き、もてなしなさい」と書かれている。死者たちが戸口に現れる夜のために、人々は食事を用意し、ともにいただいた。そのご馳走の象徴として焼いたのが、干しブドウなどで十字架の形を施した「ソウル・ケーキ」というお菓子である。これは死者たちを供養するための供物である。幽霊の仮装をして「トリックオアトリート」の決まり文句で戸口にたってお菓子をねだる行為は、家に戻ってきた先祖をお菓子を捧げて供養する習慣に由来するのだ。

  今日のハロウィンではそういった本来の意味はほぼ失われ、仮装してお菓子を貰うパーティへと姿を変えた。それが良いことだとも悪いことだとも思わないが、本来の意味について知っておいても損はないだろう。

  ところで、サウィン(ハロウィン)はメキシコの祭日である「死者の日」と類似が指摘されている。死者の日は死者の魂を迎えるための行事で、内容的にもサウィン祭に近いが、祝う時期もほぼ同時期の11月1日と2日である。映画『リメンバー・ミー』で有名になった死者の日だが、日本のお盆をはじめこういった死者を迎える祭日は世界各地に存在する。地域も人種も違えど同じ人類、考えることは似てくるのだろう。

■土着の信仰と外来の信仰

  さて、このとおり、ハロウィンの起源であるサウィン祭はキリスト教の行事ではない。イメージとは異なり、キリスト教とは全く無関係の異教の行事だったのである。サウィンを起源とするお祭りがハロウィンと名前を変えたのはキリスト教の祭日である「諸聖人の日(ハローマス)」の前日に祝われる祭日であることに由来する。ハロウィンは「Halloween」と綴るが、、これは諸聖人の日(All Hallows' Day)の前夜(All Hallows' Evening)が短縮されたものである。全ての聖人と殉教者を記念する諸聖人の日が定められたのは8世紀のことだが、初期キリスト教会がケルトの新年である11/1にその日を定めたことについて「宣教のための異教の慣習の取り込み」であったか、「伝統社会の重要な慣習をキリスト教会が活かす形で結果的に残した」のかは解釈が分かれる。だが、いずれにせよ事実としてキリスト教会はキリスト教以前の祭日に重ねる形でカレンダーを作ってきた歴史がある。

  現代のアイルランドは国民の多くがカトリックを信仰するキリスト教圏だが、キリスト教とは大きく異なる死生観や自然観が伝統社会では息づいていた。キリスト教の教えでは、死者は最後の審判の日に裁かれて、永遠の命を得るものと地獄に落ちるものに分けられるとされているが、伝統的なケルトの死生観はそんなに勧善懲悪的ではないし、この世とあの世の境目がもっと曖昧だ。中東でもアジアでも南米でも、原始宗教ではこの世とあの世は地続き(神々の世界は空の上、冥界は地下)である場合が多く、ケルトの古い死生観もその類例に当て嵌まる。メソポタミア神話でもギリシャ神話でも、マヤの神話でも日本の神話でも、人間の世界と神々の世界と冥界は行き来ができる位置関係として描かれている。ケルトの神話における世界観も似通っており、神々など人ならざる存在がいる世界は海の向こうや地下など、人間の世界と物理的につながった場所にある。

  キリスト教、イスラム教の紀元後に発生した二大一神教は世界中に広まり、各地の土着宗教を過去のモノとしていったがそれらは完全に姿を消したわけではなく、痕跡を残している。謝肉祭(カーニバル)もその一つである。謝肉祭はカトリックの祭日で、四旬節直前の時期に行われる。四旬節とは、イエス・キリストの復活を祝う「復活祭」前の40日間でキリストの受難の苦しみを偲んで断食や精進に努める時期である。ドイツでは「ファスティンツァイト(精進節)」と呼ばれるが、ファステンとは「断食、懺悔」の意味である。断食や精進に入ると、しばらく美味しい肉やご馳走とお別れしなければならないため、その前に食べて歌って踊って騒いで楽しんでおこうというのが謝肉祭の趣旨である。カーニバル=「肉よ、さようなら(イタリア語)」という意味で、祭日の内容を端的に表している。

  この謝肉祭だが、「断食、精進」と「騒いで楽しむ」という二つの要素がうかがえる。断食、精進はキリスト教の要素だが、騒いで楽しむのは古来より存在するゲルマン民族が春を迎える前の習慣に基づく。(※注釈しておくと、わが国の浅草サンバカーニバルに宗教的意味合いは無く、キリスト教とは全く無関係のイベント。本場の謝肉祭と開催時期も異なる。雰囲気的にカーニバルと呼ばれているだけである)

  各地の宗教は共存したり、吸収したり、消滅したりと地域によってさまざまな関係性を築いてきた。わが国では仏教伝来以降、土着の神々と仏教の仏は神仏習合という形で緩やかに融合した。大分県北東部の国東半島に残る痕跡は神仏習合の古い例として名高い。

矛盾を生まないように本地垂迹説=「仏と神々は根本的には同じで、日本の神々は国内の実情に合わせて仏(本地)が姿を変えて現れてくれたもの(垂迹)という」説明も生み出された。仏教の生まれ故郷であるインドは、現在ではヒンドゥー教の方がはるかに優勢だが、ヒンドゥー教においてお釈迦様はヴィシュヌ神のアヴァターラ(化身)の一つとされる。

 キリスト教圏のヨーロッパでありながら、イスラム教圏のオスマン帝国に長く支配されたバルカン半島一帯では二大一神教の鬩ぎあいの痕跡が残されている。ギリシャ第二の都市、テッサロニキのロトンダはローマ皇帝ガレリウスの霊廟として当初建設され、当初はどの神を祀るか決められていなかった。その後、結局霊廟として使われることはなく、教会→モスク→教会と支配者が変わるごとに複雑な遷移を経ることになった。

  現在のロトンダは文化財との位置づけ(世界遺産にも登録されている)でギリシャ政府の文化財保護部門の管理下にあるが、祭祀開催時にギリシャ正教会が施設を借りて利用するという形態となっているので、一応はキリスト教の施設になる。第一次バルカン戦争後も撤去されなかったミナレットが、かつてロトンダがモスクだったことを物語っている。逆の例としてトルコ最大の都市イスタンブールのアヤソフィアは東ローマ帝国支配時代のキリスト教正教会の大聖堂が、オスマン帝国の支配下でモスクに改築されたものである。筆者は両方とも訪問済みだが、どちらも言語に絶するほど美しい建造物である。異教徒の信仰の場とは言え、破壊するのは憚られたのだろう。

 純粋培養された習慣や教えであるように見えても、キリスト教やイスラム教のような一神教は歴史的に見ればまだ新しい部類であり、信仰されている土地にはたいてい土着の古い信仰が存在する。良く知られたキリスト教の祭日にも、キリスト教にとっては異教である古い土着信仰の影響が見られる例は珍しくないのである。

 アイルランド製のアニメ映画『ブレンダンとケルズの秘密』は米アカデミー賞で長編アニメ映画賞候補になるなど、国際的にも非常に高く評価された作品だが、キリスト教の教えが書かれたケルズの書とアイルランド土着のケルトの神話が融合している。キリスト教圏でありながら、土着のケルト文化が伝統社会で生き続けた実にアイルランドらしい作品である。

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