山下和美のエッセイ漫画『世田谷イチ古い洋館の家主になる』完結 日本で古い建築を守る「意義」と「難しさ」
漫画家の熱意が人々を動かした!
「グランドジャンプ」で連載されていた山下和美のエッセイ漫画『世田谷イチ古い洋館の家主になる』が完結した。山下が、世田谷区豪徳寺にある明治時代に建てられた洋館「旧尾崎邸」の取り壊しの話を聞き、保存運動を開始。保存決定に至るまでの一連の出来事を描いている。2月3日にはNHK BSプレミアムで「そして、水色の家は残った~"世田谷イチ古い洋館"の135年物語~」が放送予定である。
「旧尾崎邸」を残すうえで最大の問題は、土地と建物を買い取り、さらに修繕を施すための費用をいかに確保するかにあった。途中、山下は何度も壁に直面し、保存を断念せざるを得ない事態に追い込まれた。ところが、漫画家の新田たつお&笹生那実夫妻が現れてから事態が急展開。クラウドファンディングを行い、賛同者も増えていき、満を持して保存が決定した。現在は改修工事が進められており、年内にも一般公開が始まる見込みという。一人の漫画家の情熱が人々を動かし、大きな輪になった感動的な事例である。
地方では建築を残すために奮闘している人が大勢いる。山下の漫画は、そうした人たちにこそ読まれるべき貴重な記録といえよう。
しかしながら、本著を読むと、日本で古い建築を残すのがいかに難しいのかを実感させられてしまう面もある。山下ほどの数多くのヒット作を抱える漫画家界の大御所ですら、ここまで苦労しているのだ。建築の保存改修には億単位の費用がかかることも多く、不動産や地域住民との複雑な関係を考慮する必要も出てくるため、一筋縄ではいかないのである。
価値ある建築が取り壊されてきた
日本ではこれまで、明治~昭和初期に建てられた歴史的建造物が数多く取り壊されてきた。残っていれば確実に重要文化財になっていたであろう、ジョサイア・コンドルの「三菱一号館」は昭和43年(1968)に丸の内の再開発で解体された。そのすぐ近くに立っていた大正時代のオフィスビル、初代「丸の内ビルディング」も解体済みで、高層ビルに建て替えられている。
吉田鉄郎の傑作であり、昭和初期のモダニズム建築の代表格である「大阪中央郵便局」も間違いなく重文になるべき建築であったが、開発されてしまった。「東京中央郵便局」は「KITTE」として再開発されて一部が現存しているものの、完全な形で残すことはできなかった。その一方で、「KITTE」は実に魅力的な施設である。建築を残すべきだったか、再開発して正解だったかどうかの判断が筆者には難しい。
近年は、価値の高い戦後建築が相次いで取り壊されている。やはり重文に指定されるだけの価値があった菊竹清訓の「出雲大社庁の舎」や黒川紀章の「中銀カプセルタワービル」が解体済みであるし、香川県高松市では丹下健三の「旧香川県庁舎」が重文指定された一方で、同じ丹下の作品「旧香川県立体育館」は解体の危機にさらされている。
これを「日本はなんて文化を大事にしない国なんだ!」とディスりまくるのは容易いのだが、なぜ日本では名建築がいとも簡単に解体されてしまうのだろう。未来の文化遺産が失われる事態なのに、世論が盛り上がらないのだろう。筆者は建築関係者や建築ジャーナリストの責任も大きいと考えている。彼らは現代建築の魅力を人々に伝える努力をしてきたのだろうか。建築の価値を説明するのはなかなか難しい。パンフレットを見ても一般にはわかりにくすぎるのだ。メタボリズム? ポストモダン? なんじゃそりゃ? なのである。
そもそも、日本を代表する世界的な建築家である丹下健三の名前を知っている人が、どれだけいるのか。前川國男、坂倉準三などにいたってはさらに知名度が低いだろう。こうした戦後まもなく活躍した建築家の知名度を、安藤忠雄か隈研吾くらいのレベルまで引き上げる努力を、建築関係者は行わなければいけないのではないだろうか。