直木賞候補作家・河﨑秋子が語る、介護と推し活を描いた背景 「絶望を背負いながらもどうにか日常を守る」
前作『絞め殺しの樹』(小学館)で直木賞候補となった河﨑秋子が、注目の新作小説『介護者D』(朝日新聞出版)を刊行した。東京で派遣社員として働く30歳の琴美が、父親の体調不良のため札幌へ戻ることを決意。アイドルの推しを心の支えとする彼女が、地元での介護生活で感じる葛藤が描かれていく。河﨑氏に介護と推しというテーマへの思いについて話を聞いた。(編集部)
〝推し活〟をしている人が眩しかった
――父親が脳卒中で倒れたのをきっかけに、東京から北海道の実家に戻った30歳の琴美を主人公に、コロナ禍での介護生活を描きだす『介護者D』。18歳のアイドル・ゆなを唯一のよりどころにする彼女の〝推し活〟小説でもあります。
河﨑:実は私が30歳のときにも、父が突然、脳卒中で倒れまして、施設に入るまでの約10年間、母と二人で在宅介護をしていたんです。その経験で積み重ねたものが、物語の根っこには流れていると思うのですが、私の父が寝たきりで、きょうだいや公的サービスの手も借りていたのに対し、琴美の父親は自力で歩くことができますし、矍鑠(かくしゃく)としている。だからこそ、家族以外の手を借りることを拒むんだけど、母親はすでに亡くなっていて、たった一人の妹は海外で息子と二人暮らし。私とは状況も性格もだいぶ違うものになりました。何より……私、もうずっと推しを見つけられずにいるんですよ。
――誰かを推したい気持ちはあるんですか?
河﨑:めちゃくちゃ、あります。この人素敵だな、と思う芸能人はいますし、フィクションの中にも好きなキャラクターはいるんですが、10代のころのようにひたむきな情熱を傾けることができない。自分の人生を賭けるくらいの全力さで誰か/何かを推すことができるというのは、一種の才能なのだなと、大人になるにつれてひしひしと感じるようになりました。自分にはその才能が欠落しているという自覚があるぶん、推し活している人たちの姿が眩しくて。介護中やコロナ禍でどこにもでかけられない時期、私にも推しがいたらどんなにか救われただろう、と思ったことも、今作を書くきっかけになりました。
――琴美を通じて、改めて介護の現実を振り返ることで、何か気づかされたことはありますか。
河﨑:そうですね……。私の父は要介護度5というかなりのヘヴィー級だったので、それに比べると、一人で出かけることのできる琴美の父の介護は、それほどつらくないものに見えるかもしれません。でも、要介護度が1であろうと5であろうと、子どもにとって親が老いていくのを間近で見続けるということは、それぞれのシチュエーションでつらいものがあるんです。そこに上下も軽重もない、と思ってはいたのですが、実際に琴美を通じて彼女の父親と相対したことで、より深い実感がうまれました。他者が容易にジャッジできるものでも、比較できるものでも、ないんですよね。私は琴美のように、介護者同士の寄り合いに参加したことはありませんが、どのレベルであろうと、同じ立場にいるからこそ吐き出しあえる愚痴もあるし、そういう相手がいなければ潰れてしまう心もあるだろうな、と。
――琴美の場合、推し活が難なくできる状況であれば、寄り合いがなくても気がまぎれたかもしれませんが、東京と札幌という物理的な距離があるだけでなく、途中でコロナ禍に突入してしまい、ますます困難になってしまった彼女の絶望も、リアルでした。
河﨑:連載が始まったのはコロナ禍以前だったのですが、やはり、この状況は映し出しておこうかと思いました。介護の必要な老人との同居、しかも遠距離の移動。推しが、どんなに万策を講じてライブ開催を決意しても、その想いを汲むことができない。SNSのファンコミュニティを見ていても、自分だけ切り離されたような気がしてしまう……。「不要不急の外出を控える」がスローガンだったコロナ禍で、琴美のような立場の人たちは、本当につらかったことでしょう。
――作中でも「不要不急っていったいなに?」という、当時、誰もが突きつけられた問いが丁寧に描かれていました。確かに、推し活をしなくても、肉体は死なない。でも「人はパンのみに生きるにあらず」という聖書の言葉を思い出しますが、衣食住が確保されていても、生きる気力を失われてしまうことがある。でも……という葛藤を、今もみんな抱えている気がします。
河﨑:小説というのも結局、なくてもいいものではあるんですよね。最低限、生きていくことができる。それでも、小説を書いている立場として、読むのが好きな立場として、世の人々にとって生きることに直結するくらいの熱量で求められていてほしい。一方で、私の実家は酪農業を営んでいるので、毎日絶対に供給されるべき〝食〟と娯楽を同列に並べることができないのも、わかってはいるんです。両極端な生業が身近にあるからこそ、私も、不要不急という言葉については、深く考えさせられました。
「善意」が寄り集まる難しさ
――琴美の抱える葛藤には「自分は昔からずっとDランクである」という劣等感がありますよね。子どものころ、学習塾を経営していた両親が「要領がよくて優秀な妹はAランクだけど、真面目だけど不器用な琴美はDランク」と言っていたことにずっと傷ついている。
河﨑:琴美は、基本的に他人の心情や立場を思いやって立ち振る舞うことができるし、面倒見もいい。介護するべき父親と、遠方から口ばかり出してくる妹に思うところがありながらも、全部引き受ける覚悟を持てる強さもある。それなのに、子どものころのちょっとしたつまずきで、自分を低く見積もってしまう女性として描きました。
――両親に悪気はないんですよね。ただ、成績を基準に、他の生徒たちと同じように客観的評価をくだしただけで。
河﨑:そうなんです。だから琴美も、両親を恨んでいるわけじゃない。でも、教育者である実の親にDの烙印を押されたというのは、かなりショッキングな出来事で……。東京での勤めは派遣社員だったけれど、まじめで、頑張り屋で、自立した生活を送っていた彼女は、どちらかというと出来のいい、まっとうな女性で、そんなに自己卑下する必要はないと、私も思います。でも彼女は、親からくだされたDランクの評価に自分を押しこめて、みずからDランクに踏みとどまっている。その残念さも、物語を通じて描けたらいいなと思い、『介護者D』というタイトルにしたんですが、ちょっと『頭文字D』みたいだなと(笑)。
――全然、そんな連想はしませんでした(笑)。むしろ彼女が自分をDだと思っている理由が少しずつ明かされるにつれ、とても胸が痛くて……。確かに自己評価の低さから殻を破れずにはいるんですが、誰を恨むでもなく、世をひがむでもなく、淡々と自分のなすべきことをなそうとしている彼女を、読みながら応援したくなりました。
河﨑:ああ、よかったです。作中にも書きましたが、現実って、それほど悪意にまみれているわけではない気がするんですよね。介護の現場でも、どちらかというと善意が寄り集まった結果、なんでか悪い方向に物事が転がってしまう、思いやりがあるからといっていい方向に動くとは限らない、ということがままあって。在宅で介護するのか、施設に入れるのか。本人の希望を尊重して家族だけで面倒を見るのか、介護者の負担を考えて公的なサービスを利用するのか。いろんな立場でいろんな人がものを言いますが、その裏にあるのはたいてい「そのほうがいいんじゃないか」という善意なんです。だけど全員が納得する道を選ぶことなんてできないから、誰かが必ず、大なり小なりわりを食うことになってしまう。それが現実なんだろうなあ、と思います。