【伊集院静さんが好きすぎて。】気鋭の放送作家・澤井直人が語る「伊集院静さんと“ゼロイチ”」

■ゼロイチの先駆的存在

 ステージを作る過程を伊集院さんは『打ち上げ花火』に例えられる。ぱっと上がって花開き、その日、その場所、その一瞬のうちにあっけなく消えてしまうものに、惜しみなく、金と労力を注ぎ込む。その儚さ、美しさを堪能し、客にも堪能させること。それが伊集院静さんのステージであった。

 その後、小説家に専念されるまで松田聖子さん、薬師丸ひろ子さん、和田アキ子さん、
数多くのステージやファッションショーを手掛けられた。

 これは、今でこそ当たり前のことであるが業界にとっては革新的なゼロイチ(クリエイティブ)だったのだ。

 放送作家をしていても肌で感じるのだが、まだ誰も足を踏み入れていない土地に旗を立てる、“ゼロをイチ”にする作業が一番難しい。

 それを当時の伊集院さんは軸になるコンセプトから建築し、業界の概念をヒックリ返された。そう、ゼロイチされたのだ。さらには、今で言うバズらせることまでやってのけていたということになる。恐ろしい。

 私は今テレビの世界を主戦場に生きているが、1953年から100年も経っていないテレビ史の中でもうほとんどの地に、テレビマンの先人たちは旗を立ていかれた。

 しかし、今のテレビ制作を見ていると…先人たちの偉大な功績に甘えすぎな気もしている。(自分も含めて……)

 平成の人気番組を復活させたり、過去の偉大な企画をリニューアルさせたり、
似たような企画やキャスティング(座組み)を周回させたり……。

 そう思うと、昭和平成のバラエティは凄かった。

 まだ、世の中が認識していなかった当時のナインティナインさんをフジテレビの片岡飛鳥さんは自分の目利きで発掘しレギュラー番組のMCに抜擢した。

 増えすぎた芸人が自分の人生と見つめ直す為、そのきっかけとして島田紳助さんはM-1グランプリを開催した。

 国民的スターSMAPはアイドルなのに、テレビの前で芸人さん顔負けのコントを披露し笑いを量産した。

 他にも、バラエティを彩ったゼロイチを挙げればキリがないが間違いなくそのゼロイチが子どもの頃の視聴者だった私をザワつかせたことに違いはない。

 だからと言って、まだテレビ界にも旗を立てる土地(ブルーオーシャン)は残っていると信じている。

 時間に忙殺されると企画会議は減っていってしまうが、時間を無理に縫ってでも企画書を書き続ける理由は、ブルーオーシャンの景色が見たいから。それに尽きる。

 伊集院静さんのステージ演出から、そんなことを見つめ直した。

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