戦国時代を描いた2つの直木賞受賞作、今村翔吾『塞王の楯』と米澤穂信『黒牢城』の対極的アプローチ
そう、ひと口に「歴史小説」と言っても、両者のアプローチは、大きく異なっているのだ。否、むしろそれは、ほぼ「真逆」と言ってもいいかもしれない。己が持つ技術を駆使して敵と対決する、エモーショナルでスペクタクルな歴史活劇である『塞王の楯』に対し、『黒牢城』における「戦い」は、村重と官兵衛の静かなる心理戦――知略に長けたふたりの腹の探り合いや駆け引きの中にこそあるのだから。内に秘めたエモーションを極限まで抑え込みながら、お互いの中にある「真実」を、それぞれの死生観も交えながら、じっくり見据えようとする物語。それが『黒牢城』なのだ。
二冊あわせて読むと、その共通点よりも、むしろ相違点のほうが際立つように思える『塞王の楯』と『黒牢城』。なるほど、二作同時受賞というのも、ある意味納得のいく話である。というのも、比較するには、そのアプローチがあまりにも違うから。そして、その小説としての「醍醐味」も。発表時期が異なっていたら、ひょっとすると、ここまで比較されることもなかったかもしれない。けれども、これも何かのめぐり合わせなのだろう。人と人の「繋がり」や「信頼」を基調としながら物語を編んでいく前者と、長期にわたる籠城(そして幽閉)によって、その「繋がり」や「信頼」が徐々に失われていきながら、それでも「残るもの」を浮かび上がらせる後者。そのアプローチは真逆でありつつも、いずれも「人間」を描いた物語であることは間違いないだろう。そして、この「ふり幅」こそが、歴史小説の面白さ――ひいては「物語」そのものが持つ面白さなのだろう。そう思わせるに十分足る、実に読み応えのある渾身の小説となった二作。歴史小説のファンならずとも、この機会に是非二作あわせて読んでみることをお勧めしたい。