森田真功の平成ヤンキー漫画史【第1回】:平成に取り残された『東京卍リベンジャーズ』

森田真功の平成ヤンキー漫画史【第1回】

 タイムリープがいかなる趣向か。今日では様々な作品に採用され、ヒットし、アイディアとしてはもはや一般的となっているので、詳細はひとまず省く。が、タイムリープという作劇上の要請を通じ、『東京卍リベンジャーズ』の主人公は、今しがた述べた通り、唯一の恋人の将来を違うレールに乗せるべく、不良少年の集団である東京卍會が2005年に走っていたレールに乗り込み、さらには行き先を切り替えるというミッションを課せられる。ただし、そのミッションは何度となく失敗し、同時にタイムリープも複数回繰り返されれていくのであった。どれだけ東京卍會が乗ったレールを変えようと、最終的にはヒナタが失われるというルートに辿り着いてしまう。それはなぜなのかの疑問が、ある種のサスペンスを生んでいるのは確かだ。他方、ここで認識しておきたいのは、2005年と2017年の往復を基本的な構造としていることが『東京卍リベンジャーズ』に奇妙な特徴をもたらしている点である。

 正確を期するなら、作中の時間における過去のパートは2005年から先に進みもする。しかし、過去のパートでルートのスイッチに成功しない限り、作中の時間における現在のパートは2017年よりも先に進まない。進めない。これがどういうことか。1991年=平成3年生まれのタケミチが、2017年=平成29年に延々と足止めされ続けるという意味である。26歳の若者が、平成という時代の中に閉じ込められ、そこからは決して出られないという意味である。タケミチとほぼ同世代で占められている『東京卍リベンジャーズ』の他の登場人物たちも同様だ。物語のロジックにおいてはタケミチと一蓮托生といえる。やがて巨大な犯罪組織として幅を利かせるようになる東京卍會の野望が是正されなければ、生まれてからまるごと平成で育ってきた彼らもまた平成を終わらせることができない。

 簡単に作外の状況を時系列で整理したい。

 2016年、7月13日、第125代天皇の退位が報じられる。
 2017年、3月1日、『週刊少年マガジン』で『東京卍リベンジャーズ』の連載がはじまる。
 2017年、12月8日、第125代天皇の退位の日が決定される。
 2019年、4月30日、第125代天皇の退位。平成31年。元号としての平成が終わる。
 2019年、5月1日、第126代天皇の即位。元号としての令和がはじまる。令和元年。

 連載を準備している段階で『東京卍リベンジャーズ』の作者が平成の終わりを念頭に置いていたとしてもおかしくはない。そして、実際に『東京卍リベンジャーズ』の連載中に元号が切り替わる。

 連載が開始された正にそのとき、2017年は作中のタケミチにとっても『東京卍リベンジャーズ』の読者にとってもオンタイムであり、リアルタイムであった。しかし、読者は2017年にとどまったままの『東京卍リベンジャーズ』を横目に時代を進めている。それがたとえ偶発的に起こったことであろうと、2022年=令和4年の現在から『東京卍リベンジャーズ』を見ている側からすれば、タケミチをはじめ『東京卍リベンジャーズ』の登場人物たちが2017年=平成29年に置いていかれていること、平成から抜け出していないことに変わりはない。これは彼らにとって2017年の世界がループしているということではないし、2017年を舞台にした物語が長期の連載となるような巨編として編まれているというのとも違う。あるいはスポーツを題材にしたフィクションが、ワン・シーズンの予選大会や全国大会を何年もの連載をかけて描くのとはわけが違う。単にタケミチが当初に決められたミッションをやり遂げるまでやり直そうとしているせいで、2017年に固定された結果発表の場がずらせずにいるにすぎない。

 さながら周回を目的としたトラック・レースのように物語のスタートとゴールは並列であり、お互いに位置を動かせない関係にある。タケミチが過去に遡っていることを知った協力者たちがゴールの付近で待ち構えているが、ゴールしてもなお記録に満足できないタケミチは次こそはベストの記録を出そうと協力者たちの声援を背に受けつつ、すぐさま周回をリスタートする。それはすなわち平成として括られた同じ時代をぐるぐると何度も何度も回り続けるということでもある。タイムリープという趣向は、こうした『東京卍リベンジャーズ』ならではの奇妙な特徴に寄与しているのである。

※(筆者註)はっきりといえば、タケミチのミッションが達成され、物語が2017年から2018年に動く場面があるのだけれど、その転換は作品や読者の印象にとって非常に重要なものであり、深く考えられなければならない。他方、これまでに書いてきたことを反故にはしないので、ここではまだ触れないでおく。

 タイムリープを導入した異色のヤンキー・マンガ(ヤンキー漫画)と紹介されることも少なくない『東京卍リベンジャーズ』だが、本質はあくまでもヤンキー・マンガである。広義でいう不良マンガのヴァリエーションにほかならない。いや、本格的なSFのマニアが『東京卍リベンジャーズ』を何よりもまず本格的なSFの作品として評価すべきだと主張するなら話は変わってくるかもしれない。しかし、そのような主張は今のところほとんど聞かれない。確かに作品のコンセプトが「不良少年」であり「タイムリープ」であることは間違いがない。けれど、不良少年がコンセプトの「主」であるとすれば、タイムリープは「従」の役割であって、それが『東京卍リベンジャーズ』では一貫されていることもまた疑いようがないのだ。

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