空気を読まない主人公はなぜ人気? ハライチ岩井勇気原作『ムムリン』が面白い
親が金持ちで最新のおもちゃを自慢する同級生には「ミツヤ自身は何もないただの無能のくせによく我が物顔で自慢なんかできるよな」。風でスカートがめくれてパンツを見られたことに怒る同級生には「もしかして自分のスカートの中に価値があると思ってるの?」。コウタは誰に対しても臆することなく、言いたいことを言う。好かれたい、という媚びを見せることもなければ、嫌いだから、という一方的な感情で相手を断罪することもない。
ムムリンに辛辣にあたるのも、ただ「その態度はおかしい」と思っているからで、道でおじさんにぶつかられたムムリンが一方的に怒られたときはしっかり庇うし、コロッケを落としたムムリンにはさらりと自分のぶんを半分渡す。子役として活躍している同級生に対しても、主役だろうが端役だろうが関係ない、頑張っているだけですごいんだと、ナチュラルに尊敬の念を示す。そのフェアな態度が、空気は読まないけど主人公になれるヤツ、の必須条件なのだろうと思う。
とはいえ、コウタもすべてに持論で立ち向かうわけじゃない。人の話を一切聞かない親戚のおじさんや、おしゃべりに興じる女の子たち。そして母親の鉄拳制裁。正論をぶつけたところで敵うわけがない相手をちゃんと認識しているところに、コウタの人間味というか、愛らしさが感じられる。そんなコウタが、力ですべてを解決するガキ大将に対峙したとき、いったいどう切り抜けるのか? 2巻も、どんなふうに期待を裏切ってくれるのか、楽しみである。