ライトノベルは“現実”とどう響き合うか パンデミックを描いた『鹿の王』が映画化される意義を考察

フィクションは現実を導くか

 現実を超える展開を描いて驚きを与えてくれるのがフィクションだが、今はフィクションが現実になったような事態や、フィクションを超えるような出来事が相次いで起こっている。もっとも、これでフィクションの出番がなくなる訳ではない。フィクションとして紡がれた物語のなかに、ときに現実の困難を乗り越えるためのヒントがちりばめられているからだ。

 もともと9月10日に公開される予定が、新型コロナウイルスの感染拡大で延期となった長編アニメーション『鹿の王 ユナと約束の旅』は、『精霊の守り人』や『獣の奏者』が人気の上橋菜穂子によるファンタジー小説『鹿の王』(2014年/角川文庫)が原作となっている。この作品の舞台は、現在世界が見舞われているパンデミックを写したように、伝説の疫病“黒狼熱”が広がり始めた世界だ。

 強大な帝国から侵略を受けた土地で戦士として戦ったヴァンは、捕らえられ奴隷として岩塩鉱で働かされていた。そこが不気味な犬の群れに襲われ、直後に謎の疫病が発生してヴァンと小さな女の子だけが生き残った。ヴァンはユナと名付けた女の子とともに岩塩鉱を抜け出し身を隠すが、岩塩鉱に帝国の調査が入り、生き残り、逃げ出した者がいたということが判明してしまう。天才医術師のホッサルは、ヴァンとユナに謎の疫病“黒狼熱”を治療する鍵があると考え、行方を追い始めるーー。

 ファンタジーの世界ではあるが、ホッサルは地衣類から抗生物質に似た治療薬を探したり、感染者の血液で血清を作ったりと、科学的な治療法を研究し、黒狼熱を押さえ込もうと奮闘する。その試みは、現実の医学史上でも繰り広げられてきたことが原型となっており、現在のコロナも含む感染症への取り組み、その歴史に思いを馳せる上でも意義深いものとなっている。

 作中では、ヴァンやユナが生き延びたことから、特定の種族や生活習慣の中に“黒狼熱”を跳ね返す何かがあるのではないか、という指摘が出る。コロナ禍においても当初、東アジアで感染者や死亡者が少なかったことため、その要因=「ファクターX」に対する考察が行われてきたことが思い出される。そしてホッサルは、「感染しにくい」と警戒を緩めることで変異した疫病が一気に広がる可能性を訴えており、これも、デルタ株やラムダ株などの変異種にファクターXは通じない、という議論に重なるものだ。パンデミックの推移、その過程で起こり得ることが細やかに想定されており、作者の先見性を感じさせる。

 もちろん、本作で描かれた黒狼熱と、新型コロナウイルス、またその終息に向けた道筋を完全に重ね合わせることはできないが、2014年に『鹿の王』が発表された時点では予想できなかったパンデミック下で、作品が長編アニメ化され、人々の関心を呼んでいるのは事実だ。そこに意味を見出すならば、現実に不安を抱える人たちを励まし、また不確かな情報に惑わされず日々戦う、医療従事者に応援の気持ちを向けさせることにつながる可能性がある、ということかもしれない。

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