『チ。』作者・魚豊の初連載作品『ひゃくえむ。』がアツい! 「100m」に命を賭けた男たちの生き様

『ひゃくえむ。』の魅力を考察

 誰もが一度は経験がある「徒競走」。50m、100mを駆け抜ける速さを競う徒競走は、大人になれば、「自分が何位だったか」だなんて忘れてしまう程度の存在だろう。しかし「100m」に人生を賭けた男の半生を描いた漫画がある。それが『チ。-地球の運動について-』で、漫画大賞2021で2位を獲得した、魚豊の初連載作品『ひゃくえむ。』だ。

 「週刊少年マガジン」97回新人漫画賞で、特別奨励賞を獲得した読切『100'M』を前身とする本作。この作品の何よりの魅力は、「アツさ」だろう。『ひゃくえむ。』はなぜこんなにも読者の心を打つのか。本稿ではその魅力を検証したい。

※以下ネタバレを含みます。

 天才という生き物は、圧倒的なようでいてある種、脆さを感じさせる。努力をしなくても結果が出てしまうのだから、本気で血を滲ませてきた人間より簡単に折れてまうのは当然なのかもしれない。『ひゃくえむ。』もまさしくそんな「脆い天才」が主人公の作品だ。

 友達も多く順風満帆な学校生活を送る、小学校6年生のトガシ。どこにでもいる普通の少年だが、彼には一つだけ普通ではないことがあった。それは“走るのが速い”ことだ。特段珍しくない特技だが、トガシのそれは特技の域を軽く超えていた。努力をしなくても、軽々と全国一位を獲れてしまうトガシ。そして足が誰よりも速く、それによって何でも解決してきた彼は、小学生ながらに“それだけ”でいいのだと悟ってしまう。そんな熱を持たない彼の横を、無我夢中で前を向く少年が駆けていった。それが小宮だ。

気づいてないみたいだけどこの世には単純なルールがある、それによるとたいていの問題は、100mだけ誰よりも速ければ全部解決する

 作中で「走っていても何も解決しない」と話した小宮に、トガシが言い放ったのがこのセリフだ。一見走るのが速いことなど大人になればのなんの意味も無いように感じる。しかし確かに“誰よりも”100m競争が速ければ、(ウサイン・ボルトのように)富や名声といったものが自分の手中に収まるだろう。

 またトガシは「今からでも速くなれるかな?」と尋ねる小宮に対し、不思議そうな顔をして「いや、それを決めんのは君だろ」と言い放った。

 従来の漫画であれば、「最後に決めるのは君だ!」、「それは君次第だ!」といった具合に、決め台詞として使われそうなこんな台詞。しかしトガシは淡々とした雰囲気で、小宮の問いに対して、ごく当たり前のことを答えとして発した。このように、盲点とも言える真理を叩き出すスピード感と、独特な言い回しが本作でしか味わえない「アツさ」を生み出している。そしてこの熱を読者に伝えるため、一番大切な役割を担っているのが作中で理性と対比される「本能」の存在だ。

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