『呪術廻戦』は“虐げられた者の復讐”を描くーー芥見下々の「死」をめぐる表現を考察

『呪術廻戦』「死」をめぐる表現力

 本作には、虐げられた者の復讐というテーマが繰り返し登場する。中核にあるのは、人間に成り代わろうとする呪霊たち(と彼らに協力する夏油傑)と、人間を守ろうとする呪術師たちとの戦いだが、先日までアニメで放送されていた、いじめられっ子の高校生・吉野順平の顛末もそうだ。

 真人にそそのかされて同級生たちを殺そうとした順平は虎杖と戦うことになるのだが、その過程で真人に改造人間(怪物)に変えられてしまう。その時、真人から「順平って君が馬鹿にしている人間の」「その次位に馬鹿だから」と言われるのだが、復讐心で行動すると、最終的に自分に跳ね返ってくるということが繰り返し描かれている。

 「人を呪わば穴二つ」ではないが、相手を引きずり降ろして成り代わろうという復讐心では、恨んでいる相手を超えることができない(むしろ相手の価値観に飲み込まれてしまう)というのが作者の考えなのだろう。

 漏瑚たちの限界は人間と呪霊を比べて、自分たちを下に見てしまい人間の立場になりたいと思ってしまったことだった。対して宿儺は「快・不快のみが生きる指針」で、戦い自体を楽しんでいる。だから別格なのだ。

 「呪い」から生まれた漏瑚にそれを指摘するのは、あまりに残酷すぎるとも思うのだが、面白いのはその後、宿儺が「多少は楽しめたぞ」と語りかけること。「誇れ」「オマエは強い」と讃えると、漏瑚は涙を流し「…何だこれは」と言う。動機の愚かさを指摘しつつも、漏瑚たちが「戦おうとした」行為は否定せず讃えるのだ。ジャンプのバトル漫画らしい顛末だが、どこか救いのようなものを感じさせる場面である。

 漏瑚たち特急呪霊を、感動的な形で退場させたのは実に意外だったが、作者は人間も呪霊も別け隔てなく対等に感情移入して描いているのだろう。だからこそ描けた名場面だ。

 その後、宿儺は、伏黒が呪詛師・重面春太を倒すために呼び出した式神・異戒神将魔虚羅を倒した後、肉体の主導権を虎杖へと返す。魔虚羅と宿儺の壮絶な呪術バトルも見応えのある場面だが、意識が戻った虎杖が、宿儺に乗っ取られた時に大勢の人間を殺してしまったことを知る場面は「そこまで精神的に追い込むのか?」と圧倒された。

 その後、呪術師の七海建人が「後は頼みます」と虎杖に最期の言葉を残し、真人に殺されるのだが、虎杖にとって“呪い”になるから「この言葉は言ってはいけない」と死の間際に七海がためらう瞬間が描かれているのも見逃せない。

 壮絶な能力バトルや「死」を描いた少年漫画は多数あるが、様々な「死」を、主人公がどう受け止めるのかについて、ここまで丁寧に描こうとしている作品は他にはないだろう。

 真人はそんな虎杖の繊細な感受性を理解した上で(人間を怪物に変えた)改造人間で攻撃してくる。命を弄ぶ真人は「オマエは俺だ」と虎杖に言うが、果たしてそれはどういう意味か? 「渋谷事変」の行方は未だ不明だが、呪術バトルを描く作者の表現力と「死」というテーマへの踏み込みは、より深まっている。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

■書籍情報
『呪術廻戦』(ジャンプ・コミックス)既刊14巻発売中
著者:芥見下々
出版社:集英社
https://www.shonenjump.com/j/rensai/jujutsu.html

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