GEZAN マヒトが語る、本に見出した可能性 「文明に対する反抗のスタンスでもある」

GEZAN マヒトが語る、本の可能性

解像度には「自覚」と「責任」が必要

ーーマヒトさんは圧倒的に観察者なんだという印象をもちました。『ひかりぼっち』に登場するトシちゃんが、「マヒトさんは世界を立体で見ている」と話したエピソードがあって、まさにその通りだなと思ったんですよね。でも世界を見る解像度が良すぎると疲れてしまうと思うんです。見なくていいものまで見えてしまうし、いろいろなものが自分の中に入ってきてしまう。その辺りの上手な付き合い方はありますか?

マヒト:付き合い方は自分は圧倒的に下手だと思います。普通に落ち込むし、めちゃくちゃ人に頼るし。アドバイスできるほどテクニックはないんですけど、解像度が高い人がいろんなものを拾ってしまうというのは間違いなくある。富士山とかも「わあ! 綺麗な山だ! 大きいなあ」という解像度の人と、麓にあるゴミまで見えてしまって綺麗と言い切れない人もいる。樹海で自殺した人の靴が転がっているのまで見えてしまったら、綺麗という言葉ではもう呼べないだろうし。山をひとつの塊で見る人、森の連続で見る人、木の連続で見る人、葉っぱの連続で見る人というのは、同じ景色を見ていても捉え方は全く違うはずで、高すぎる解像度を持つ人がこの世界で生きていくのは大変だと思います。

 さらに言えば解像度には「自覚」と「責任」が必要で、SNSには自分の力で答えに辿りつくことなく簡単に解像度を高めてしまうような「事実めいた答え」がたくさんばらまかれていて、嫌な意味で賢くなれてしまう。「自覚」のない解像度は、一瞬で暴力にすり替わってしまうから、あるトピックについて理解が足りない人たちを過剰に叩いたり、追い詰めたり、そういうやり方で自分が今日存在していたことを確認する。俺はその「無責任な解像度の高さ」みたいなものがこの時代の抱えている飢餓感や欠落感を生んでいる気がしています。

ーー自分の思考と体験から得たわけではない「無責任な解像度の高さ」は、自身の原体験と結びついていないから誰かを傷つけてしまうのかなと思います。

 これも「観察」という話に繋がるんですが、本書の中でマヒトさんは、自分の身体をかなり丁寧に観察し描写しています。別の人間の目線で自身の肉体を観察しているのではないかと錯覚させるような描写力がありました。

マヒト:自分の特殊なところの1つだと思うんですけど、俯瞰する癖が小さい頃からあります。例えば今日、こうして喫茶店で喋っていても、全体を俯瞰して、それぞれの場所、それぞれの人を観察してしまう。一人でコーヒーを飲んでいるお姉さんとか、奥の卓で打ち合わせしている人がいるなぁとか、そういう出来事を俯瞰して見ていると同時に、今ピザトーストを食べていて、明らかに体温が上がって饒舌になっていく自分の主観的な部分があるわけだけど、それすらただの駒みたいに、大きな筋書きの1つとして捉えている。温度というものから一番遠い感覚が同居していて、「俯瞰」と「主観」という真逆なものが文章の中に同居している感じはあります。

 あと俺、コスプレみたいな気持ちで自分の本名と付き合っていて、それは自然にそうなっているんだけど、いつの間にかマヒトゥ・ザ・ピーポーが本名の俺を飲み込んでいるんだなと思った。例えば病院の受付で名前を呼ばれたとき、本名の俺は俺ではないから強気でいられるんですよね。いつもは赤い服着ているのにそういう日は自然と黒い服を着ていたりする。いつの間にかマヒトゥ・ザ・ピーポーと本名のマヒトが反転して、本名のマヒトの方がどうでもよくなった。別にどう思われようがいいと思えるようになって、だから最近俺は表現者になれたんだなと思いました。俺は文章とか音楽とか何かに向かえるものがあって本当に良かったなと思いますね。それを見つけられただけでも自分はセンスがいいと思える。

ーー韓国のシンガーソングライター、イ・ランさんとのエピソードで、イ・ランさんやマヒトさんは愛の歌を歌えないという話がありました。

マヒト:そうなんです。だからイ・ランと「愛の歌を歌えない」という歌を一緒に作ろうと思って。コロナが落ち着いてまた会えるような状況になったら、「愛の歌を歌えない」という愛の歌を歌うかも知れないですね。

ーーどうして愛の歌を歌えないんですか?

マヒト:愛という感覚自体は理解をしていると思うんです。綺麗事を言うと、愛が自分のベースにありすぎて、そのことが特別なものとして歌えない。折坂悠太が愛の歌を歌うのは、パートナーや子どもを特別な存在として扱えるから、それが愛です、と歌えるんだと思う。俺にとって愛という感覚が特別じゃないんですよ。もう、誰かに飴をあげるみたいな感覚に等しい。そこまで愛を振りまいている人間だとは思わないけど、感覚的に出し入れし過ぎてしまっている部分はあって、それが割とトラブルの元になったりもするんですけどね(笑)。

ーー恋愛小説だったら書けそうですか?

マヒト:うーん、やはり普段の暮らしのなかで愛を特別なものとして扱えてないから難しいと思う。でもちょっと頭をひねって、嘘つけば書けると思うけど、今のところできないですね。いつか書いてみたいけどね。

ーー恋愛が文章に影響を与えている感覚はありますか?

マヒト:あんまりない気がします。自分の歌は割と永遠がテーマにあるというか、仮に恋愛みたいな刹那的なテーマを歌ったとしても、少し離れたところから俯瞰しているような目線がずっと残ってしまう。たとえば『ひかりぼっち』でも、最後に書いた文章には、10年後とか、そういう未来から振り返ったときの目線みたいなものが入っていたりする。自分がその瞬間しか生きていないという気持ちと同時に、もっと長い時間のなかで、その瞬間を俯瞰している感覚もあるんですよね。だから恋愛の影響を受けているのかもしれないけど、限定的だと思う。その瞬間の切実さよりも、人類って恋をして、ダンスして、こうやって生きてきたよねみたいな、そういうすごく冷めた目線がある。やっぱり自分にとって特別ではないことは、歌や文章にできないんだろうなって今話していて思いました。

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