婚活迷子、お助けします。 仲人・結城華音の縁結び手帳
「結婚して、今と違う自分になれたら、何かが変わる」は幻想か――『婚活迷子、お助けします。』第十二話
橘ももの書き下ろし連載小説『婚活迷子、お助けします。 仲人・結城華音の縁結び手帳』は、結婚相談所「ブルーバード」に勤めるアラサーの仲人・結城華音が「どうしても結婚したい!」という会員たちを成婚まで導くリアル婚活小説だ。母親の呪縛で婚活がうまくいかない〈小川志津子 28歳 通訳〉編もいよいよ大詰め。前回、母からの退会通告で落ち込む彼女を、それぞれのやり方で励ますブルーバードの面々。彼らの言葉を胸に抱え、自分に向き合うなかで気づいた“ある絶望”から、志津子は何を選択するのか。(稲子美砂)
第一話:婚活で大事なのは“自己演出”?
第二話:婚活のためにメイクや服装を変える必要はある?
第三話:成婚しやすい相手の年齢の計算式とは?
第四話:男性はプロフィール写真だけでお見合い相手を決める?
第五話:見合いとは、互いのバックボーンがわかった上で相性を見極める場
第六話:婚活がうまくいかないのは“減点制”で相手を判断してしまうから
第七話:結婚相談所で成婚退会できるのは約3割……必要な努力は?
第八話:婚活迷子に“プロレス”が教えてくれること
第九話:女性に“優しい”と言われる男性が結婚できない理由は?
第十話:成婚できるかどうかは、親との関係性にかかっている?
第十一話:母親が気に入らない相手と結婚しても、幸せにはなれない?
みんな志津子さんの幸せを願ってる
「なんでみんな、そんなに結婚したいんすかね」
と、高橋陽彩(ひいろ)がつぶやいたのは、所長の紀里谷が不在で、華音と事務所で二人きりになった日の夕方だった。小川志津子の母親が来襲して――客に対して使っていい言葉遣いとは思わないけれど、決して暴力的ではないのに有無を言わせぬ微笑みだけで迫る小川絢子の訪れは、華音たちにとって前触れのない竜巻のようなものだった――1週間が経ったころだ。
あれから、志津子からの連絡はない。幸い、田中幸次郎の仲人からは好意的なメールが届いていた。「急なお仕事で早めの散会になったことを、田中さまはとても残念がっておられます。仮交際に進みたいというお気持ちは変わらないようなので、ぜひとも改めてのセッティングをご検討願います」と希望日時を添えた文面を転送したものの、志津子からは「予定を確認します」と返事がきて、それっきりだ。退会の意思も示さないことは救いだったが、母親と同じ屋根の下で暮らす彼女がいま、いったいどんな心地で過ごしているかは想像もできない。
先方には仕事が忙しいようだからもう少しだけ待ってほしい、と伝えてはいるが、幸次郎はともかく仲人からの志津子に対する印象はよくないだろう、と思った。志津子は以前も、幸次郎からの誘いを長々と放置している。ようやく連絡をとったかと思えば、また放置。高慢ちきな女だと思われても仕方がない。絢子にとっては不服だろうが、婚活業界で幸次郎のスペックはそれほど悪くないのだ。別の女性との見合いを薦められていてもおかしくないし、逆の立場なら華音も志津子はやめておけと言ったかもしれない。しかしこの状況で、志津子にしつこく連絡も取りづらかった。いったいどうしたものなのか……。
そんなことを、仕事中にぽろりと口にしたときだった。陽彩が、心底不思議そうに首を傾げたのは。
「正直、俺だったらあのお母さんみたら、ちょっと引くと思うんすよ。いや、よっぽど長く付き合った彼女ならわかりますよ? なんとかしてあげたいって思うかもしれないし、親なんか関係ないから駆け落ちしようぜ!ってなるかも。でも田中さんって、志津子さんと数回会っただけじゃないですか。まだ連絡先も交換してないんでしょ? それでよくそんな、食い下がれますよね。めっちゃいい人」
身も蓋もない物言いに、華音はため息をついて、メールを打っていた手を止めた。
「あなたこそ、そんな考え方でよく結婚相談所に就職なんてしたわね」
「そっすか? まあ、俺はどっちかっていうと所長に興味もったクチですからね。なんかあの人、いつも一生懸命でおもしろいじゃないですか。お人好しっつーか、いくら仕事とはいえ、よく他人の幸せを自分のことみたいに祈れるね? って思いません? 奇特な人だなーと思って、物珍しさからうっかりついてきちゃったっていうか」
「あんた、仮にも上司に口の利き方」
「でも、ねーさんもどっちかっていうと俺と同じ考えでしょ。結婚に夢とか抱いてないタイプ」
「そ、れは……」
「ま、だから仲人できてるってのもあるだろうけど。知ってます? うちの口コミでいちばん多いの、強引に話を進めないからマイペースにやれてありがたい、ってやつなんすよね。もっとちゃきちゃき仕切ってほしい!って人には物足りないみたいだけど、ここの仲人は結婚しなくても大丈夫って思ってそうなとこがいい、って口コミみたときは笑ったな」
「それ、褒めてないよね……」
陽彩はうんと伸びをして、ノートパソコンの蓋を閉じた。仕事しろよ、と眉間に皺をよせた華音に、陽彩は壁にかかった時計を指さす。18時をとうに過ぎていた。メールの返信は追いついていないが、定時である。華音は口をへの字に曲げた。
「おつかれさま。また明日」
「うわ、つめた! ねーさんも帰りましょうよ。たまにはメシでも」
「遠慮します。まだ仕事終わってないし」
「田中さんの仲人さん? まだメール書いてなかったんですか」
「どっかの誰かさんが横でやかましいからでしょう」
「心外だな。話振ってきたの、ねーさんじゃないですか」
ねーさん呼びがしつこいな、と渋面をつくった華音だったが、言及するとなおさら話が長引きそうなのでやめて、深く息を吐くことで抗議の意を示した。けれどそれを察したうえで、陽彩は軽やかに笑って流す。
「志津子さん、元気かなあ。俺、メールしてみよっかな。してもいいです?」
「そりゃもちろん構わないけど……」
ブルーバードの仲人は専属制ではなく、三人全員で一人をサポートするのが基本だ。というよりも、メインはすべて所長の紀里谷で、最初の入会面談に同席するのはもちろん、華音や陽彩が記録する情報が更新されればくまなくチェックし、会員一人ひとりの個性や好み、気がかりな点もすべて把握しているのだから驚かされる。陽彩のいう“奇特な人”というのもあながち間違いではなく、華音も働き始めたばかりのころは、どうかしているんじゃないかと思ったくらい、愛が深い。常日頃から、他の結婚相談所との定期懇親会に顔をだしては会員情報を交換しあい――紀里谷みずから仲人たちに声をかけて発足した会もいくつかある――、連盟に所属していないために出会うことのできない相手をも探し出して紹介する。今日も懇親会をはしごしているため、事務所に立ち寄っている暇がないのだった。
そういうわけで、会員との日々のやりとりをはじめ、実務はすべて華音と陽彩に任せられている。メイン担当は決めているものの、ふだん相談している相手だからこそ言いにくいこともあるだろう、と誰に声をかけてもいいよう全員の連絡先も伝えてある。若い異性である陽彩に、志津子は戸惑っているようだったから、これまで一度も彼女からコンタクトをとってきたことはないのだけれど。
「……そうね。あなたのほうが、志津子さんも話しやすいかもしれない」
実直さが自分の売りだと、華音は自覚している。けれど、今回の場合はそれがよけいに事態を膠着させているような気がしなくもない。陽彩くらいの軽さがあったほうが、志津子の気も少しは楽になるのではないだろうか。
「なに傷ついた顔してんすか」
自分の不甲斐なさに歯噛みしていたのが表情に出たのか、陽彩が呆れたように言う。
「ねーさん、なんも悪くないでしょ。志津子さんのお母さんがああなのも、志津子さんが思いきれないのも、ねーさんのせいじゃない」
「それはそうだけど。でも、……歯痒い。どうにかしてあげたい、なんて思い上がりなのはわかっているけど、何もできないのは……あなたの言うとおり、私が結婚に意味を見いだしきれていないせいかもしれない。お母さんのことなんてほっといて、もう勝手に結婚しちゃいましょう! 大丈夫です! って背中を押せる強さがあれば、志津子さんだってこんなに悩まなかったかも」
「まじめっすねー」
陽彩は、呆れるというよりも“引いた”ように、頬をひきつらせた。
「でも俺だったら、そんな無責任に発破かけてくる仲人、信用できないっすよ。ねーさんだから、志津子さんも安心して、信頼してくれたんじゃないですか」
「そう……かな」
「そうっすよ。逆に志津子さんのお母さんは、志津子さんのこと全然信頼してないっすよね。っていうか、怖いのかな。自分の手の届かないところに志津子さんがいっちゃうのが」
「怖い?」
「理解できないことって、怖いじゃないですか。お母さんの価値観にない相手と幸せになれるってのがまず信じられないし、困ったときに手をさしのべてあげられなくなるし、自分を否定されたようでつらいし、心配だし、さみしいし。まー、母親ってのはとかく複雑っすよね。俺はなったこともないし、なる予定もないから、わかんないっすけど」
辛辣なようで、どこか愛のある物言いに、華音はまじまじと陽彩の顔を見つめた。
「もしかしてあなたのお母さんも、同じタイプ?」
「いやー、うちのはもっとタチ悪いっすよ。自己陶酔型。俺に対するのは愛情っつうより、支配欲。志津子さんのお母さんも支配的ではあるけど、たぶん本気で心配して、幸せになってほしいって思ってるんだろうし。……まあ、それはそれできつそうだけど」
――幸せ、か。
なぜみんなそんなに結婚したがるのか、と陽彩は聞いた。幸せになりたいのだ、と華音は思う。元婚約者と結婚を決めたのは、この人となら幸せに生きていけると信じたからだった。ひとりでだって、生きていくことはできる。でも華音は、ひとりで平気、というタイプではなかった。楽しいとき、悲しいとき、寄り添ってくれる誰かがいてほしい。笑いあって、手をとりあって、ともに人生を歩んでいけるパートナーがほしかった。みんな、結婚にはそういう夢を見るんじゃないだろうか。笑顔と幸せに満ちた、夢を。結婚だけが幸せじゃないとか、現実はそんなに甘くないとか、いくらネガティブな面を語られたって意味がない。ただ、曖昧であやふやな“幸せ”という幻想を“結婚”に託すのだ。
「むずかしいね。願ってるのはみんな、志津子さんの幸せなのに。なんでこんなに、すれ違うんだろう」
「志津子さんが決めるしかないことを、外野がとやかく言うからっすよ。仮に田中さんと結婚して、離婚することになったってそれでいいのに。納得して選んだことなら、結果的に傷ついても立ち直りは早いと思うんすけどね」
意外といいこと言うじゃないか、と思ったけれど、言うとうるさそうなので、華音はかわりに口元をゆるめた。めったに見せない華音の微笑みに「飲み行きます!?」と陽彩が身を乗り出したとき。
華音のスマホがちかりと光り、新規メッセージの着信を知らせる。
小川志津子、とロック画面に浮かびあがった名に、華音は思わず声をあげた。