ブレイディみかこが語る、イギリスのコロナ禍と市井の人々の生活 「おっさんにも人生があるし、おっさんは悪魔ではない」
イギリス人のNHS愛は宗教みたい?
ーーみなさん非常にタフですよね。こういう人たちが世の中を動かしてるうちに、彼ら彼女らに都合よく仕事をさせて世の中を成立させている部分、つまり自負みたいなものに乗っかって、階級社会を結果的に支えてしまっているようなところもあり、その辺りが非常に難しいと思うのですが、イギリスではどのように考えられていますか?
ブレイディ:コロナでイギリスはキーワーカーに感謝しようという機運がすごくあります。テレビを見ていても、いろんなセレブリティから普通の人まで、自宅からのZoomみたいな映像で、「Thank you key workers」と言う映像とかが流れるんですよ。そして毎週木曜日の夜8時に家の外、玄関の外に出て拍手するという習慣がずっと続いています。それはキーワーカーに対する拍手。普段キーワーカーは、低所得じゃないですか。でも社会を支えてるのは本当はこう言う人たちだったというのをみんなが意識して、変わってきている部分があると思います。もちろん、そういう感謝や拍手は偽善的だし、社会の構造を考えるとグロテスクだと批判する人たちもいて、拍手しないことを選ぶ人々もいますが。
ーー本書でとても勉強になったのがイギリスのNHS(国民保健サービス)についてです。日本にも国民健康保険がありますが、NHSは時代によって同じ制度なのにサービスがこんなに変わってしまうのかと驚きました。
ブレイディ:イギリスはNHSのおかげで治療費がタダなんですよ。連れ合いの癌治療も全く無料だったし、私の不妊治療、体外受精もすべてタダです。どちらもすごいお金がかかるので、NHSがなかったら、連れ合いは亡くなってたかもしれないし、息子もいなかったかもしれません。でもタダだからこそ、政治的な影響を受けやすいし、緊縮財政でどれだけ機能しなくなったかということはこの本にたっぷり書いている部分ですが。
それでもイギリスの人たちのNHS愛はすごいですよ。『Gogglebox(ゴグルボックス)』という「テレビを見ている人たちを見る番組」があるんですが、イギリスがロックダウンに入った時にNHSの病院を追ったドキュメンタリーを見せた時なんかたいへんでした。あるNHSの病院の看護師がコロナで呼吸困難に陥って大変な状況になってると。それが高齢の黒人看護師さんなんです。呼吸用の管が喉につかえてしまい、取り除く手術をやってるところをテレビが追って、それをイギリス中のどの家庭もみんなで見ている。手術が成功し、コロナも治って退院する際、NHSの病院に看護師も医師も事務のスタッフもみんな廊下に並んで、拍手してる。それで、その黒人女性が挨拶するんです。「私は1970年からNHSで働いてきた。毎日働いた。一日も病気で休んだことはない。それが今回、こんな病気になったりして自分に怒っていた。あなたたちの多くが遠く離れた国から来て私たちを助けるためにここにいることを知っている。もう少し踏ん張りましょう。私たちは乗り越えられる。そうしたらNHSはますます良いものになっているでしょう。私は看護師になったことを誇りに思います」って。それを聞いて、テレビを見ていた人たちは例外なくみんな泣いてました。それをみた息子が、「NHSってイギリスにとって宗教みたいだね」って。(笑)
印象的だったのは、労働者階級のおっさんが、「ジョンソン首相とか、コロナ禍になっていろんな政治家がスピーチしてるけど、これまで聞いた中で彼女の挨拶がベストだった」と言ったんですね。そんな風にNHSにはみんなを泣かせる何かがあるみたいです。
ーーそこまで愛されているNHSに対して、緊縮政策で大幅に予算削減してしまったわけですね。
ブレイディ:それに対する反発の盛り上がりはすごかった。だから去年の12月に選挙があった時も、ジョンソン首相は「緊縮はやめてNHSに投資する」と言って支持を伸ばしました。彼はEU離脱派のリーダーでしたが、離脱に投票した人たちに「なんで離脱に入れた?」とアンケートをとったら、一番多かった理由はやっぱり「移民をコントロールしたい」だったけれど、二番目に多かったのが「EUを離脱したらNHSにもっとたくさんお金が使えるから」でした。離脱派は、イギリスはEUにこれだけの拠出金を毎年払ってるけど、離脱すればそれをNHSのために使えると吹聴したんです。結局それはデマでしたけど。
おっさんだって、みんなみんな生きているんだ
ーー各章のタイトルが、さまざまな曲のタイトルになっていますが、これは最初から決めていたことですか。
ブレイディ:連載第一回の原稿で「いいじゃないの幸せならば」という言葉を入れました。すごく古い曲で、佐良直美さんの曲です。次の2回目もあまり意識せず同じように曲名を入れ、3回目の時、何も音楽や曲名が入っていなかった。そうしたら井口さんから、「今回何も音楽について入ってないですけどいいですか?」という確認ともリクエストともしれないツッコミが入りました(笑)。そこから意識したので、最初から決めていたわけではないんです。
井口:宝探しみたいなマニアックな読み方ですけど、出てくる曲の歌詞を調べるとまた2倍3倍に楽しめます。「ブライトンの夢」はThe Poguesの「Fairytale of New York(ニューヨークの夢)」という曲のもじりですが、それは監獄でクリスマスを迎えるというような歌詞で、それがエッセイの内容とクロスして面白かったりとか……。
ブレイディ:確かにクロスしてますね! 書いた本人がわかってない(笑)。ちょっとそれ、今度私がやってみます!
ーー第2章は解説編になっていて、イギリスの世代や階級について書かれていますが、これがまたとても勉強になりました。
ブレイディ:これも井口さんから「イギリスの階級の話が知りたいです」とリクエストが来たので、それに応えたカタチです。最初は付録にしようかとも思っていたんですが、付録にしては長くなりすぎてしまったので、第2章になりました。
ーー本書に出てくるくらいの年齢、もっと下も含めて、日本のおっさんが本書をどういう風に読むか、すごく楽しみです。
ブレイディ:本当に。でも私、女性にも読んで欲しいんです。おっさんのパートナーである人とか。会社であのおっさんのことよくわからないとか、あのおっさんむかつくとか思ってる人たちにも、おっさんにも人生があるし、おっさんは悪魔ではないよ(笑)、みんなみんな生きているんだ、という部分を読んでいただけたらと思います。
ーーSNSが顕著ですけど、最近は同じような考え方同士の人間がつるんで心地よくなりやすい。でも、本書では、全然違う考え方の人同士でも対面している様子が描かれていますね。
ブレイディ:それについて、すごく意識して書いたのは、極右のデヴィッドの話(「ワン・ステップ・ビヨンド」)です。本に書いたとおり、パーティーがあるたびになぜかいつも隣同士……。大嫌いだったんですけど、ある日彼がいつも出ていたパーティーに行ったら、亡くなっていたことを聞かされた。その時に、その人が気に入ったからプレゼントした息子の市松模様のポークパイハットが戻ってきたんです。頭が小さい人だったから、息子の帽子がすっぽり入ったんですけど、彼はそれをずっと持ってた。「日英同盟の復活よ」とか言い出す右翼っぽい人でほんとに隣に座るたびに気まずいというかムカつくというか困った人だったんだけど、その帽子を見るたびに私、泣けてきてしまうんです。泣きながらエッセイを書いたことなんてなくて、いつもわりと冷めてるんですが、これだけは泣きながら書きました。
憎たらしいところを書いていても涙が出てくる。本当に嫌なやつで性格も悪くて、意見も合わなかったけど、泣いてしまう。この泣くという感情がどこからくるんだろうと思いつつ、「これが人間というものだよね。これを忘れたらダメだよね」という風に思って、そういうことを伝えたかったエッセイなんだと思います。
■書籍情報
『ワイルドサイドをほっつき歩け──ハマータウンのおっさんたち』
著者:ブレイディみかこ
出版社:筑摩書房
定価:本体1,350円+税
<発売中>
https://www.chikumashobo.co.jp/special/wildside/