ヤバい場所に行き、同じ釜の飯を食うことの意味とは? 書籍版『ハイパーハードボイルドグルメリポート』が伝える、撮影の裏側

『ハイパーハードボイルドグルメリポート』レビュー

 先に書いたジョセフと上出さんのやりとりは、これまで放送された中でも特に濃密であることは画面からも伝わっていた。しかし、本を読むと、そこには画面から伝わる以上のものがあり、一日限りのラブロマンスのようにも思えた。

 その短い時間の中には、ドラマのように二人を分かつ出来事すらあった。ゴミ山の道端で車が横転し、それがちょっとした騒動となり、上出さんが目をとられているうちに、ふたりは離れ離れになってしまうのだ。広いゴミ山の中で、もう二度と会えないのではないかという不安が伝わってきた。その後、なんとか探し出して再会するのだが、こうした箇所は、決してテレビの中には収められていなかった(のはなぜだったのだろうか)。

 その後、ジョセフは米と豆を買ってきて、空き缶を鍋に「赤飯」を炊く。じっと見ている上出さんに「食べる?」「お金があればもっと良いものを作れたんだけど」と言うジョセフの、上出さんへの信頼と誇り高さに放送時も胸をつかまれた(それをことさら「誇り高い」とみる自分に偏見があるのではないかとも思えたのも事実だが)。そして、ジョセフと上出さんが「同じ釜の飯を食う」ことの意味が、大きく感じられた。食べている姿をお互いが撮りあっているということに、お互いの信頼や愛情やいろんなものが詰まっていた。その直前、ジョセフの背後には、信じられないほどに見事な虹もかかっていた。その映像は出来すぎているようにも見えたが、美しい真実だった。

 例えば映画にも、出会った人間同士が何かしらの強いシンパシーを感じ、同じ飯を食うことになり、そして心的に濃密な距離感になったとしても、何らかの問題が二人に立ちはだかることはある。それは、映画の場合は、国の分断であったり、相反する組織に所属している敵同士であったりという理由があるだろう。

 しかし、上出さんとジョセフの間にあるものは、もっと複雑である。先進国が便利を求めて作った化学物質から生まれたゴミは、ジョセフの体を確実にむしばんでいるし、格差社会による貧困が二人を隔てていることはいわずもがなだ。そして取材を通じて出会い、心を通わせたとして、そこからジョセフ「だけ」を救うということは、単なる感動のストーリーにしかならないし、世界に横たわる問題の解決にはならない。だからこそ、こうした番組が必要なのだ。

 私はこの文の最初に、「興味本位で『ヤバい』場所に行く番組が始まったのかと思った」と書いたが、上出さん自身もそんな企画書の旗印については、前書きに「いかにも粗暴、いかにも極悪」と書いている。本当は上出さんこそ、このキャッチ―なパッケージに違和感を持っていたのではないか。そして、それを自問しながら続けてきたのではないだろうかとも思えた。

 番組で訪れたリベリアのことを書いた章で上出さんは、カメラを向けることでお金を払うとはどういうことなのかに触れている。上出さんは「幾度金をせびられても、彼らを『卑しい人たちだ』とは思わない」としながらも、「我々が金を払えば、彼らの要求はどんどん高くなる」「彼らにカメラを向ける者がいなくなるのは、悲劇の始まりだ。彼らの置かれた状況は世の中に知られざるものとなり、いっそう隠され、為政者は意のままに声なき国民を蹂躙できるようになってしまう」と続けていた。

 こんなときだからだろうか。この一文が響いて仕方がなかった。

■西森路代
ライター。1972年生まれ。大学卒業後、地方テレビ局のOLを経て上京。派遣、編集プロダクション、ラジオディレクターを経てフリーランスライターに。アジアのエンターテイメントと女子、人気について主に執筆。共著に「女子会2.0」がある。また、TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演している。

■書籍情報
『ハイパーハードボイルドグルメリポート』
著:上出遼平
価格:1980円(税込)
発売日:3月19日
出版社:朝日新聞出版

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