『左ききのエレン』が描く、“凡人”として生きるための覚悟 「お仕事漫画」としての魅力を考察

『左ききのエレン』が描く“凡人”の覚悟

「天才になれなかったすべての人へ」

 このキャッチに惹かれて本書を手に取った人の中には、“何者か”になることを夢見、それが叶わなかった経験のある人が多いことと思う。または今もその途上にあり、先を行く背中に圧倒的な力の差を感じ、呆然と佇んでいる人だろうか。自らを“天才”と自覚できる人がどれだけがいるのかわからないが、確実にこの世は天才になれなかった人であふれている。そういう意味で漫画『左ききのエレン』は、とても普遍的な物語だと言うことができる。

 本作は2016年より「cakes」上に発表しているかっぴーによる同名のwebコミックが原作。『フェイスブックポリス』に代表されるユルめのテイストで知られた同氏が、長編ストーリーに挑むとあって、当時大きな話題になったことを覚えている。連載は同年9月にはいったん完結したものの(現在は第2部が連載中)、10月からは「少年ジャンプ+」にてnifuniによるリメイクが開始。原作をなぞりながら、新キャラやストーリーを補完するエピソードもまとめられており、いわば完全版という位置付けだ。

 主人公は大手広告代理店に勤める駆け出しのデザイナー、朝倉光一。業界にその名を轟かすような有名クリエイターに憧れ、日々仕事に打ち込む毎日を送っている。だが、仕事も社内の評価も自分が思うほどには向上しない。焦る光一が思い出すのは、高校時代のクラスメイト、山岸エレンの存在だ。天賦の絵の才能を持つ彼女が、美術館の壁に描いたグラフィティアート。その絵は光一の心を動かし、エレンに勝手にライバル宣言をしていたのだ。物語はそんな光一とエレン、ふたりの歩む道を行き来しながら、クリエイティブな業界で必死にもがく人々の姿を描いていく。

 冒頭のキャッチコピーになぞらえるなら、“天才になれなかった”のが光一で、“天才”がエレンということになる。自分は特別と思い込み、いずれは誰もが認めるクリエイターになれると信じてやまない光一と、本能のまま絵を描くことしかできない自分に、コンプレックスを感じるエレン。ふたりの対比は持つ者と持たざる者、それぞれの苦悩を克明にあぶり出していく。そこで見えてくるのは「“天才”とは」「“才能”とは」という問いだ。本作を読んで感じたのは、“天才”とはいわばゲームで言うチートみたいなもの。生まれついての特性ゆえ、誰とも分かち合えない苦悩がつきまとう。他方、“才能”は後天的には発現してくるもの。努力や運、そのほかさまざまな外的要因によって伸ばしていくことができる。その証拠に、エレンはひとりでは不完全な人間だが、アートプロデューサーの加藤さゆりやデザイナーの岸あやのらと組むことで新進気鋭のアーティストとしての立ち位置を獲得していくし、光一は何度もくじけながら、自分に何もないがゆえの貪欲さで仕事のスキルを研ぎ澄ませ、結果を出していく。作中ではあやのがエレンを「突き抜けた天才」、光一を「立ち上がった凡人」と評する場面がある。つまりはアプローチこそ違えど両者は同列という意味だろう。単なる優劣ではない、陰と陽のような対比がそこにはある。“天才”と呼ばれる稀有な存在にはなりえなかったけれど、凡人として大成するなら、それもまぎれもない実力だ。『左ききのエレン』は“天才になれなかった”からこそ見える世界があることを教えてくれる。

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