ヒグチアイ“独り言”三部作「エイジング」インタビュー:変化する価値観に戸惑いながらも見つけた私なりの答え

今年7月から3カ月連続でリリースされるヒグチアイの「“独り言”三部作」。その第一弾となる新曲「エイジング」は、久々にタイアップを離れ、ヒグチアイが自分の心に正直に向き合って書いた一曲だ。言葉もメロディも、まるで独白のように静かで鋭く、そして優しい。ひとつの曲だけでは語りきれない想いを、三つの断片として紡ぎ出すこのシリーズには、彼女の「今」が色濃くにじんでいる。
リアルサウンドでは今回の「独り言三部作」を連続インタビューで特集する。初回は、「エイジング」というテーマに加え、世代の異なる者同士が対話を重ねることの大切さ、人と話さないことで陥る「思考のエコーチェンバー」への危機感、そして「誰かを救いたい」ではなく「わかりたい」と願う気持ちについて語ってもらった。
ヒグチが見つめているのは、自身の内にある孤独と、他者のなかに潜む孤立。その輪郭にそっと触れるように、彼女の「独り言」は、今日も誰かの心に届いていく。(黒田隆憲)
ある時気づいた価値観のズレ それでも「苦しいけど頑張ること」を繰り返していきたい

ーー今回は、なぜ三部作という形にしようと思ったのですか?
ヒグチアイ(以下、ヒグチ):久しぶりに「ちゃんと自分の曲を書かなきゃ」と強く思ったんです。というのも、ここ最近はタイアップの楽曲を多く手がけていて、自分のための曲がどんどん後回しになっていて。「三部作」という形にしてしまえば、自分に対して「絶対に3曲は書く」という締め切りになるかなと(笑)。そんな思いつきがきっかけでしたね。
ーー「独り言三部作」と銘打っていますが、そこにはどんな気持ちが込められていますか?
ヒグチ:ある意味、ちょっと「責任逃れ」みたいなところもあるかもしれません。「独り言」という形にすることで、「これは自分に向かって言っているだけ」というスタンスにしたかったというか。SNSでの発信にも近いかもしれないですね。たとえばX(旧Twitter)で「ただ思ったことをつぶやいただけなんですけど、皆さんどれくらい『いいね』してくれるんですか?」みたいな(笑)。
ここ数年のあいだに、感じたこと・思ったことも反映されています。自分自身のこともそうだし、友人の身の回りに起きている出来事とか。たとえば、「部下が年上なのに全然動いてくれない」「若い子が言われたことしかやらない」「どう接したらいいのかわからない」みたいな話をよく聞くんですよ。
ーー世代的に、そういう立場になってきていますよね。
ヒグチ:そうなんです。今の若い子たちからすれば、先輩からの「もう少し頑張ってくれたらな」という言葉をパワハラと受け取るケースもあるかもしれない。だとすると、私たちの言っていることはもう古いのだろうか? とか。とはいえ自分たちがこれまで培ってきた価値観を、そう簡単に変えられるわけでもない。その一方で、「頑張れない人たち」「頑張らない人たち」は、頑張ることに価値を感じている私たちの価値観で言ってしまえば、これからどうやって楽しく生きていけるのだろう? みたいなことも含め、真剣に考えるようになったんです。
思い出すのは、2~3年前にまつ毛パーマやネイルをやりに行ったときのこと。施術してくれたのは20代半ばくらいの女性で、「将来の夢ってあるの?」って軽く聞いてみたら「そんなにお金を稼げなくても、友達と楽しく飲み会できて今のままなんとなく生きていければいいんですよね」みたいに言われてしまって。そこで何て返せばいいのかわからなくなっちゃったんですよ。「あれ、自分って今、少数派になってきているのかな?」と。そんなふうに価値観のズレに気づき始めたことが、この曲を書き始めたきっかけだったような気がします。
ーーそれでいうと、歌詞にある〈パワハラしてるやつを庇いたい〉〈働かないやつを殴りたい〉というラインは、かなり攻めた表現ですよね(笑)。誤解されかねないと思いつつ、今のお話を踏まえるととても強く伝わってくるものがあります。ものづくりをしていると、「そんな簡単に終われない」「寝ている場合じゃない」みたいな瞬間は、確かにありますし。
ヒグチ:そうなんですよ。自分がこういう仕事をしているからか、「時間って関係ない」みたいな感覚がどこかにあって。でも私のまわりには会社員の友人も多く、そうなると労働時間はきっちり決まっているし、その日に働いたぶんだけお金が出る。明確ですよね。そこはもちろん理解しているつもりですけど……たとえば夜中の2時とか3時に連絡しちゃうこともあるんです。「返事はいらないよ、私が忘れないようにメモ代わりに送ってるだけだから」とメールには添えるけど、それすら人によっては「圧」に感じてしまうかもしれない。
ーーうーん、難しいですね。
ヒグチ:一方で、「頑張った方が人生は楽しいんじゃないか」と思う自分もいます。だって、仕事をしている時間って人生の大半を占めるわけじゃないですか。だったら「『頑張るのって意外と楽しいかも』って思ってくれたらいいのに」と、どこかで期待してしまうんですよね。もちろんみんながそうじゃないし、無理に続けさせることもできないのはわかっている。じゃあ、どうすればよかったのだろう? って、ぐるぐる考えてしまうんですよ(笑)。同世代なら多かれ少なかれ抱えているであろうそういう戸惑いを、ちょっとでもすくい取れたらいいなと思って、この曲を書きました。
ーー〈理解しても納得はできない〉〈頷いても承諾してはない〉というフレーズも印象的でした。現代では、何かを「理解する」「受け入れる」「承諾する」ことが美徳のようにされている一方で、本音では「そんな簡単に納得できない」と思っている人も多い。その狭間で苦しんだり、引き裂かれたりしている感覚がこのラインに込められていますよね。
ヒグチ:たとえばSNSでの告発もそう。何かトラブルが起きて、たとえばバンドマンがすぐに謝っていたりする。今日も朝からそういう記事を読んじゃって(笑)。「何かをされた」と発信した瞬間、その人のほうが「強者」になるというか、先に言った側が絶対的な正義になってしまうじゃないですか。それに対し、「いや、それは違います。実はこういう事情があって……」と説明しようとしても、もはや後の祭りというか、結局「でもあなたが悪い」とされてしまう。昔は泣き寝入りしていた人たちが、SNSを使って勝てるようになった。それはそれで素晴らしい側面もある一方で、また違った怖さがあるよなと思うんです。
ーーものすごく、よくわかります。
ヒグチ:でも、そういう中でも、音楽ーー少なくとも私が作っている楽曲に関しては、「これはどうなの?」と強く言われたことってあまりないんですよね。やっぱり「創作物」だからなのかなと思うし、本来音楽はそういうものであってほしいなとも思っています。表現の自由って、やっぱり大事。もしそれがなくなったら、「かわいい」とか「最強」とか「頑張ろう」とか、そういう言葉ばかりの世の中になっちゃう。もちろん、私の考え方や表現が、誰かを傷つけることもあるというのは、ちゃんとわかっていますが。
ーー「誰も傷つけない表現」って、本当にあるのかな? と思うことがあります。もちろん、公序良俗に反するようなものはダメだけど、「私はこう思う」と言っただけで誰かが傷ついたとして、それで全部謝らなきゃいけないのかというと、それもまた違う気がして。
ヒグチ:ですよね。とはいえ今「アンチテーゼ」として機能しているものでも、いつかは「ひっくり返る」ことがあるとも思うんです。今は「乗るしかない」みたいな空気があるけど、少数派が声を上げ続けていれば、またいつか空気が反転する。だから、今はちょうどその「ひっくり返る前」なのかなって、そんな気がしています。
ーーそれは〈恥さらした盛者必衰さ〉というフレーズでも表現していますよね。サビの頭、〈弾かれた 端くれだ〉〈挟まれた 半端もんさ〉といった言葉には、ヒグチさんご自身の今の立ち位置や覚悟のようなものがにじんでいるように感じました。
ヒグチ:私は音楽を作る人間だから、ある意味で「その中」から抜け出せてしまう部分があると思っていて。たとえば、会社員だったら、何かやらかしたらクビになるってこともあるけど、私の仕事では、よほどのことをしない限りそういうふうにはならない。もちろん、常識を外れるようなことをすれば話は別だけど。
さっきも言ったように、「苦しいけど頑張ること」「やった先に何かがあるかもしれないこと」は、これからも私は繰り返していきたいと思っています。そういう人間であることを、自分でちゃんと理解してあげる必要がある。だから、無理に変わる必要はないんじゃないかなって。
ーーそのことに気づいたわけですね。
ヒグチ:サビの最後で描いているのは、群れを離れて、孤独の中へと向かっていく姿。でもそれは、決して諦めじゃなくて、私はまだ「欲張っている」。もしかしたら、かつての情熱の「残り火」かもしれない何かを、これからもちゃんと持ち続けていきたいんです。それを見た若い子たちは、笑うかもしれない。「それでもいいんだ」と、自分に言ってあげたくて。それが現時点での、私なりの「答え」なのだと思いますね。
SNS時代に自分だけの「好き」や「嫌い」を見つめることの大切さ

ーー〈知らぬ間にとっくに人間じゃない〉私と、〈「こんなの人間じゃない」〉と思っている「君」。お互いを理解し合うのは難しいのでしょうか。
ヒグチ:まさに今、こうした行き違いがさまざまな場所で起きているんだろうと思って書いた歌詞です。お互いを理解し合うことって、本当に難しいじゃないですか。たとえば恋愛でも、相手のことが理解できないからこそ惹かれたり、理解しようとしたりする。でもそれって根底に「好き」という気持ちがないと、到底成り立たないですよね?
ちなみに「好き」って大事な感情ですが、それすら持てなくなっている人もすごく多くなっている気がするんです。ラジオ番組で恋愛相談に乗ることもあるんですけど、「人を好きになれない」という声がよく届きます。自分の感情を信じきれないというか、「この気持ちは正しいのかな?」みたいな不安があるんでしょうね。SNSから流れてくるような情報を常に浴び続けていると、自分の感情ってどんどん薄まってしまう気がするんです。そうなると、誰かを好きになることも、誰かを大事に思うことも、難しくなってしまうんじゃないかな。
ーーヒグチさんはどうですか。自分の考えていることをきちんと把握できている?
ヒグチ:「正確に」って言うとちょっと違うかもしれないけど、自分の感情をちゃんと把握したいし、相手が私よりも深く考えているなと感じたときには、それをちゃんと受け止めたいと思っています。22歳くらいのとき、ある人に「私、個性がないんですよ」と相談したことがあって。そしたら「個性って、自分の『好きなもの』の中にあるんだよ」と言われたんです。「だから、自分の好きなものを集めてごらん」と。それまで、「自分の好きなもの」とか意識したことがあまりなかったんですよね。
ーーそれはちょっと意外です。
ヒグチ:そこで改めて「私、何が好きなんだろう?」とちゃんと考えました。「よく食べてるから、食べるのが好きだな」とか(笑)、「これやっていると時間を忘れるな」みたいな。そういうものをたくさん挙げてみて、実際にやってみたり、人に話してみたりする中で「残ったもの」が、今でも好きなものなんですよね。「好きなもの」があることで、自分はものすごく助けられてきたと思っています。「これさえやっていれば、自分は大丈夫」って思えるような存在が、自分を支えてくれている気がするんです。
ーー「これが好きだ」と感じている自分こそが、本来の自分だって思える部分もありますか?
ヒグチ:ありますね。誰にも何も言われていないとき、一人でいるときに夢中になれるもの。そういう「誰のためでもなく、自分のためだけのもの」があることに、ものすごく安心する。他人から見たら「そんなの意味あるの?」って思われるようなことに夢中になっている自分に安心するというか。ただ、あんまり人には言いたくないんですよ。言うと、「それ、俺の方が詳しいよ」「そんなの面白くないよ」とか言われて、気持ちが濁っちゃうことがあるから。できれば自分だけのものとして、大切にしておきたい。
ーーSNSとかでいろいろ見すぎると、「こういうものを好きでいなきゃいけないのかな」って、だんだん自分が本当に好きなものがわからなくなっていきますよね。世の中の「評価」に引っ張られるというか。
ヒグチ:そうそう。いろんな意見を見れば見るほど、平均点みたいな場所に落ち着いてしまう。誰からも否定されない、誰からも失敗だと思われない「無難なライン」に。それって感情が動かない場所なんです。誰にも言わなくていい、むしろ言いたくないような、「これが好きなんだ!」と思えるものを、みんな見つけてくれたらいいなって思います。
ーー逆に、「これ嫌だな」「やりたくないな」と思うものに気づくのも大事じゃないですか?
ヒグチ:ほんとにそうですよね。嫌いなことって、案外すぐに見つかると思うんだけど、でも気づいたら、自分が「嫌なこと」をやっていて、それをやっている自分のことを嫌いになってしまっている……みたいなこともあると思うんです。本当は、自分に立ち返る時間が必要なんだと思う。でもその時間をSNSとかでどんどん消費してしまうと、自分が何を思っているかを感じる「余白」がなくなっていく。自分の感情を受け取る前に、他人の意見に飲み込まれてしまうんです。
「これは本当に自分が嫌いなことなのか?」「それとも、この先にやりたいことがあるからやってるのか?」と、ちゃんと考えながら生きていけたらいいなと思うけど……まあ、正直めんどくさいですよね(笑)。でも、めんどくさくても「自分だけの知識」「自分だけが楽しめるもの」は、やはりあったほうがいいと思う。それを続けていくことで、自分の感情にだんだん敏感になってくる。たとえば、「この人、本当に嫌だな」とちゃんと思えるようになるし、「ああ、この人、別に悪気はなかったのかも」と考えられるようにもなるんです。
ーーとても興味深いです。
ヒグチ:感情の「精度」って、そういうふうにして上がっていく気がしますね。だからこそ、自分だけの「好き」や「嫌い」を、ちゃんと見つめていてほしいと思っています。

ーー今の社会に対し、ヒグチさんはどんな距離感で向き合っていると感じますか?
ヒグチ:今もずっと変わらないスタンスとして、「大事な人だけは守りたい」という気持ちがあるんです。もちろん、世界で起きていることや災害の深刻さは少なからず理解しているつもりです。でも、やっぱり隣にいる人や、自分の身の回りの人たちが幸せであるために、自分に何ができるかを考えていたい。それを一人ひとりが続けていけたら、結果的に平和に近づけるんじゃないかとも思うんです。
結局、「孤立させないこと」がすごく大事なんじゃないかなって。最初は「人に好かれたい」と思っていたのに、どこかで「自分が人を嫌いになっている」状態に入ってしまうと、本当にしんどくなる。自分が嫌われているのではなく、自分のほうから嫌ってしまっている。その段階に入り込むと、抜け出すのがすごく難しくなるんです。
ーー思考の柔軟性を失ってしまうというか。
ヒグチ:例えば陰謀論にハマるのも、少しそれに近い部分があるのかもしれません。自分の中の思いと、どこかから仕入れた情報が一致すると、「やっぱりそうだ」と信じ込んでしまう。しかも、人と話さないでいると、それがどんどん加速していく。私自身、そうなりかけたことがあって、「思考が固まっていく」感覚がとても怖かったんです。できるだけ柔軟でいたい。人の気持ちに寄り添おうとする姿勢は、自分の思考が固まっていないからこそ持てるものだと思っていて。もし思考がガチガチだったら、「全部違う」「間違ってる」「自分と同じ意見の人だけが正しい」という方向にいってしまいますよね。
ーー確かに。
ヒグチ:一度固まった思考って、なかなかほぐれない。でも、私自身が孤独だったとき、ずっと頭の中でぐるぐる考えていたことが「思考の塊」になっていたと気づいた瞬間、「こんな自分で大丈夫かな」と怖くなったんです。そこから少しずつ、人に会うようにしました。別に自分の話を聞いてもらえなくても、たとえば誰かが恋愛ですごく悩んでいる話を聞くと「ああ、悩んでもいいんだな」と思えたりもする(笑)。それって自分が「こうあるべき」と思っていた枠の外に、ちゃんと人が生きていることを知るってことなんですよね。そういう出会いが、自分を広げてくれる気がしていて。結論を言うと、人と会うってやっぱり大事なんです。
ーーいろんな立場の人と話すことで、自分の輪郭も見えてくるというか。逆に、似たような考えの人とばかり話していると「脳内エコーチェンバー」状態になって、自分のことが見えなくなってしまいますよね。
ヒグチ:おっしゃる通りですね。でも、そんなこと言いつつ……人としゃべるの、苦手ですけど(笑)。


















