天音かなた、憧れの林原めぐみに作詞術と人生を学ぶ 「私の中に蓄積されている膨大な時間が言葉になっている」
天音かなたが大感銘を受けた林原の生き方のスタンス
天音:寄り添ってくださるという意味で言うと、2011年にニコニコ動画で公開された「恐山ル・ヴォワール」がすごく印象に残っているんですよ。『シャーマンキング』の原作者である武井宏之先生からの依頼に対し、2つ返事でOKをされて歌われたということを過去のインタビューで拝見したことがあって。あの当時のニコニコ動画は今と比べるとずっとニッチな場所だったにもかかわらず、そこに林原めぐみさんの歌が降臨したことが本当に衝撃だったんです。今回、VTuberである私との対談を引き受けてくださったことも含め、林原さんがネット文化に対して寛大でいてくださるのはどうしてなのかがすごく気になったんですよね。
林原:まず「恐山ル・ヴォワール」に関しては、武井さんから直接お願いされたからですよね。大切な作品を生み出した原作者の方が「やってもらえる?」と言うなら、「うん、いいよ。何すればいい?」って言うだけの話というか(笑)。もうひとつ、「なんでネットの世界に寛大でいてくださるのか?」という質問に対しては、逆にお聞きしたい。なぜかなたさんはネットの世界を閉鎖的なものと捉えてらっしゃるんでしょうか?
天音:私はニコニコ動画を初音ミク、ボーカロイドがちょうど出始めた頃から見ていまして。当初から私はとても好きな文化だったんですけど、やっぱり世間的には「なんだこの電子音は?」みたいな反応がやっぱり多くて。
林原:今じゃそれが席捲してるのにね。
天音:はい。本当に時代が変わったなとは思うんですけど、当時はやっぱり「ネット気持ち悪い、オタク気持ち悪い」みたいなことをすごく言われていて……。アニメが好きということも、ニコニコ動画を見ているのも、誰にも言わず生きてて。
林原:昔はそうでしたよね。声優のCDなんて恥ずかしくて買えないって言って、J-POPで活躍されているアーティストのCDに挟んで買う人がいたくらいですから(笑)。
天音:エロ本の買い方(笑)。
林原:でもね。私はそういう意識が逆に自分自身の世界を狭めてる気がするんです。他に対して卑屈になることもないし、もちろん誰かと比べて偉ぶる必要もないというか。自分の心が素直に好きな物をただ、大事にすればいいだけというかね。他の誰がどう見ているかなんて関係ないんです。自分を形成しているのは自分自身でしかないわけだし、そもそもエンタメの役割のひとつは世の中に迎合されないことだとも思いますし。
天音:うわーー! 本当にその通りですよね。今までの自分を肯定していただけたようで、泣けてきます……。今いただいたお言葉を胸に抱えて生きていこうと思います。
林原:抱えるだけじゃなくて、もちろん発信もしていってくださいね。
天音:はい! 発信もします!
林原:ちなみにうちの娘もVTuberが大好きなんですよ。にじさんじの剣持(刀也)くんっていう子が好きみたいで、グッズもたくさん買っていて。それで私も冗談で“さんじよじこ”っていう名前でVTuberをやってみようかななんて言ったり(笑)。
天音:えぇー! やってほしいです! さんじよしこちゃん! ……失礼な発言かもしれないですけど、林原さんのような優しい方がママだったらなと思っちゃいました。
林原:あのね、それをうちの娘に言ったら、「一回、親子になってみたらいいよ。地獄を見るぞ」って言いますよ(笑)。優しくはないですから、決して。
天音:(笑)。でもなってみたいです! 親子という話で言うと、すごく個人的な話になっちゃうんですけど、私は親のことや学校生活で悩んだ時期が長くて。結果的に、誰かのために何かをするとは考えず、自分がやりたいからやるほうが気楽だなという考え方になったんです。
林原:いや、正解ですよ。それでいいと思う。むしろ、それがいいと思う。でね、自分がやりたくてやったことが誰かのためになったとき、そこで「良かったな」と思えたのであれば、その気持ちを手放さずに生きていけばいいんじゃない? 優しさをくれる人は別に親だけである必要もないですしね。これまでの人生の中で、かなたさんもいろんな人たちに優しくされた経験はあるはず。そこで受け取った優しい気持ちさえ持っていればいいんじゃないですかね。
天音:すみません、なんか人生相談みたいになってしまって。ありがとうございます!
林原: “声優”って“声が優しい”って書くんですよね。私はそこにある意味を非常に大事にしてます。なぜ“優れる”(すぐれる)という字を“優しい”(やさしい)と読むのでしょうか。それはね、優れた(すぐれた)人しか本当の意味では優しく(やさしく)できないんだと思うんです。だから優れた人が優しくするのは義務。自分を優れていると奢るのではなく、声優として、そうあろう、そうありたいと思っています。
天音:わーー! 私も誰かに優しくなれるような人を目指していきます!
林原:かと言って、すべてにおいて優れた人になる必要もないんですよ。優しくする場面と優しくされる場面は、行ったり来たりだと思うから。上にある物が取れないのであれば背が高い人に取ってもらえばいいし、腰が痛くてかがめない人がいたなら、かがめる人が代わりに物を拾ってあげればいいし。そういう優しさ(やさしさ)が優れる(すぐれる)ってことでいいんじゃないかなって。