大森靖子、『THIS IS JAPANESE GIRL』に刻み込んだ生き様 「読み解かれていくのは、またどうせ10年後」

大森靖子、新作に刻んだ生き様

 大森靖子のニューアルバム『THIS IS JAPANESE GIRL』はポップに振りきった作品だが、本人いわく「大森靖子」というアイコンをメタ的にプロデュースしたアルバムだという。大沢伸一、の子、つんく♂、向井秀徳からの楽曲提供に加えて、大森靖子をめぐるさまざまな状況の変化もあり、『THIS IS JAPANESE GIRL』には目まぐるしいほどの情報量が渦巻く。メジャーデビュー10周年が刻まれた『THIS IS JAPANESE GIRL』について大森靖子に聞いた。(宗像明将)

自分の信じているものを名乗るのが一番早い

ーー『THIS IS JAPANESE GIRL』、狂ったように聴いています。

大森靖子(以下、大森):えー、やったー!

ーー濃密すぎて、聴き終えて卒倒するかと思いました。

大森:濃いよね。けっこう幅広くいけたな、14曲も作れたし。

ーーたとえば「死神」のようなシリアスな楽曲がなくて、ポップだなって思ったんです。

大森:ないですね、かなり意図的に聴きやすくしていて。一番ややこしいことや一番伝えたいことがあるときは、そういうふうにしないと聴いてもらえないので。

ーー今回は特に伝えたいことがあった?

大森:そうですね。あまり自分に対してはやらないんですけど、今回はもう「大森靖子っていう人をプロデュースするぞ」っていう気持ちで、自分にしかできないことをメタ的に書いた部分が多いんです。

ーー大森さんが自分をプロデュースするにあたって、メタ的に見た場合の「大森靖子」ってどんなイメージだったんですか?

大森:パンクでロックで少女性があって、斬新な「かわいい」がある(笑)。やっぱりプロデュースするほうが多いから、その人たちを上に引っ張っていくような曲を書くために力を使うことが多いので、自分に対してそのギアを入れることがあんまりなくて、「自分がこういう生き方をしてるからできちゃった曲」を気持ちよく歌って、伝わる人に伝わっていけばいいなっていう、余生みのある活動をしていた部分があるんです。

 エイベックスで10年やってきて、この世の中に対して言えること、変えたいこと、反骨精神を、美徳としてすぐまっすぐに受け止められるのって、やっぱり世代が限定されていることだと思うし、自分がそういう立ち位置ではないっていうのはすごくわかっているし、そうじゃないから炎上してきたんだと思う。でも、そういう立ち位置の音楽じゃないと寄り添えない部分、描けない部分もあるから、そこをうまくやるやり方として、自分がさもメインカルチャーであるかのように、自分の信じているものを名乗るのが一番早いので、『THIS IS JAPANESE GIRL』っていうタイトルにしました。

ーー自分がメインカルチャーだし、今はTikTokもやるし。

大森:でも、「サブカル」って認識されるものって、人が勝手にサブと決めてるだけで、メインカルチャーがおいしいところ取りをして、商業的に味付けをして売りだしているので、本当はメインとされてるカルチャーのほうが遅いはずなんですよ。その種みたいなもの、今の世の中に本当に必要なものを作り続けてきたつもりだし、それを作るためにZ世代や新しい世代と対話することを、どんな目に遭っても諦めなかった人間って絶対にいないと思う。女子対女子でやっている人間っていないと思うし、自分を守る道具を置かずにまっすぐ話し合うことは、自分を傷つけることになるけど、私はそれをやっても立てる人間だし、そういう意味でメンタルも強いし、何も諦めないし、それが自分のタスクだっていうのは人生においてわかってるから、それができたぞって表明するみたいな1枚になったなって思いますね。

ーーまさそういう1枚になってると思いますよ、本当に寝こむかと思いました。

大森:寝こむはウケる(笑)。

ーータイトルナンバーの「THIS IS JAPANESE GIRL」は大沢伸一さん作編曲です。和のテイストがあるけれどゴリゴリのダンスミュージックで、歌モノとして歌詞を乗せるのも難しそうなメロディーですが、そういう曲が欲しいと大沢さんに言ったんですか?

大森:「ゴリゴリのダンスミュージックでいいですか?」みたいな話をされた気がする。大沢さんが「クラブシーンに大森靖子が立ってる姿を見たいんだよね」みたいなことを言ってくださって、「THIS IS JAPANESE GIRL」という曲名が決まった状態で作っていただきました。

ーー「大森神社」はsugarbeansさんの編曲です。雅楽テイストも『THIS IS JAPANESE GIRL』として意識してもらったんですか?

大森:「ロックバンドで和のテイストを持っていると、こういうふうになりがち」みたいなものがあるので、そこをどこまでズラすのかを遊んだ感じです。私、神社が大好きなんですよね。神社って空(くう)を祀っている場所だと思っているんですけど、私も何者でもないというか、ただ音楽に価値がある人なので、何者でもない人としてDMとかで対話できるんですよ。それはすごく寄り添っているようでいて、一番冷静ではあるじゃないですか。

ーーたしかに。

大森:だから、「一緒に靖子ちゃんのライブに行った友達が死んじゃいました」と言われても、それによってメンタルがブレることがない特殊な人間なんです。でも、「逝っちゃったな」っていう気持ちはあるんです。「死にたい」っていう感情に寄り添ってる気持ちがあって、でも死んじゃった人には裏切り者ってちょっと思っちゃってる節がある。そういう選択肢もあるなかで、違うものを選ぶストロングスタイルな人間がかっこいいと思ってるので、そこに憧れを抱くようなライトな死の描き方に対しては、実はアンチテーゼをずっと抱いていて、そういうふうには書いてないつもり。

ーーライブでも、「私たちはうまく生きられない人間だから、うまく死ねるわけがない」と言って、「おかえり」「ただいま」とファンと言いあっていましたね。そういう生きる方向にみんなを持ってきたいという気持ちが一貫してあると?

大森:一貫してあります。

ーー「死んじゃった人には裏切り者ってちょっと思っちゃってる節がある」というのは書いて平気ですか?

大森: 大丈夫ですよ。自分の死んじゃった友達に対してもそう思います。でも、自分より器用だから死ぬんだと思うんです。自分より才能あるなと思って、尊敬していた人がみんな先に逝っちゃうんで。最後の一手がうまくできちゃうから逝っちゃうんだなと思って、ちょっと裏切り者だなって(笑)。約束もいっぱいあったから、そう思いますね。「おかえり」「ただいま」も、「死をそんなに軽く言うな」みたいに叩かれたんですけど、でもまったく軽くなんか見てないし、「死にたい」っていう感情を受け入れる場所があるっていうことのほうが大事。「どうせ失敗するんだから帰ってくればいいじゃん」っていう場所があることが生きるほうに繋がる人もいるから、「おかえり」でいいと思います。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる