絢香、Superfly、新垣結衣……“タカシイズム”を継承したレーベルスタッフたちの奮闘【評伝:伝説のA&Rマン 吉田敬 第9回】
そして、翌年開かれた第2回のコンベンションでは、再び敬さん自らがマイクを握り、紹介ビデオを見せながら次に仕掛けるアーティストについてこう宣言した。
「“Superfly”、まずはその名前だけ覚えておいてください」
敬さんは、SuperflyのA&Rに宣伝本部テレビ班だった阿木慎太郎氏(現:ワーナーミュージック・ジャパンprescribe執行役員シニア・エグゼクティブ・プロデューサー)を抜擢した。テレビ担当時代は、『ミュージックステーション』では、コブクロ「ここにしか咲かない花」、BONNIE PINK「A Perfect Sky」の発売週のブッキングなど、ここぞというタイミングでのテレビ出演を実現させた。マドンナ来日時の『SMAP×SMAP』出演のときも、プレッシャーをものともせず淡々と現場を仕切る姿がとても頼もしかったのを憶えている。
デビュータイミングの絢香に「三日月」があったように、Superflyにも「愛をこめて花束を」があった。スタッフ一同、この楽曲のポテンシャルを信じていたので、どのタイミングでリリースしてブレイクさせるかがポイントだった。阿木氏は当初3枚目のシングルをこの曲に設定し、直後にリリースする1stアルバムでのブレイクを目標に置いた。そして、そのための逆算のプロモーションプランを組んだ。どうメディアの期待値を高めて勝負していくかが問われていた。コンベンションのような大会場でのお披露目ではなく、コンベンションではあえて“名前だけの告知”にして、媒体に本人のライブを見せる場所は、ライブハウスにこだわった。とにかく場数を踏んでおいて、ライブアーティストとしてのステータスを獲得しておくことが大事だとブッキングを進めた。僕ら宣伝部隊は、デビュー前にその狭いライブハウスに媒体のキーパーソンを呼び込んだ。テレビ、ラジオはもちろん、これまでの様々なタイアップで関係値のできていた企業のキーマンにも声をかけた。渋谷のライブハウスにKDDIと日産自動車の部長クラスが肩を並べて、Superflyのライブを見る光景が展開された。デビュー前のプロモーションが功を奏する形で、媒体側も競うようにピックアップしてくれたように思う。
デビュー1年後の1stアルバムに向けて、タイアップの準備が加速していた。CMタイアップでは、一番早く目をつけてくれたのは、学校法人モード学園(現:学校法人日本教育財団)の渡辺生記氏だった。越智志帆のボーカル力とファッションアイコン感に目をつけた渡辺氏は、まだ何の実績もないSuperflyの可能性を信じ、次年度(2008年度)のモード学園のCMソングに抜擢してくれた。
オンエアはモード学園より先行する形となったが、日産自動車もCubeのCMソングとして、Superflyをピックアップしてくれた。タイアップ条件がコラボレーション必須だったので、A&Rの阿木氏と知恵を絞った。“ここは、洋楽アーティストとのコラボでいこう!”と閃いた。相手としてオファーしたのは、オーストラリアのバンド、JETだった。iPodのグローバルCMで世界的に注目を集めていたJETはコラボ相手として申し分ない。ワーナーミュージック内洋楽チームのJETの担当者がアーティストサイドと懇意にしており、直接コンタクトを取った。彼らの地元でもあるオーストラリアに乗り込んだ越智と多保孝一は、JETのメンバーとスタジオに入り、彼らがリードする形でセッションしながらその場で楽曲のアレンジを詰めていった。日本とは違うそのスタイルに最初は戸惑ったものの、徐々に言葉の壁を越えて意気投合し、レコーディングの後半は積極的にアイデアを提案するなどして、ミュージシャン同士の絆が深まっていった、こうして完成したのが、Superfly×JET名義ではあるが、Superflyとして3枚目のシングルとなる『i spy i spy』である。アルバムへの導線がしっかり構築されていく中で、あとは、「愛をこめて花束を」だった。
その頃、TBSの制作局長に就任していた高田卓哉氏(第1回連載参照)は、部下のプロデューサーから研音の役者を主役にキャスティングしたいと相談されていた。
「そのとき、吉田君の顔が浮かんだ。彼にコーディネートしてもらう形で研音のBOSSのところに挨拶に行ったよ」(高田氏)
敬さんがコーディネートする形で高田氏と研音との間に新たなパイプが築かれたという。ちょうど、その時期に2008年1月クールの金曜ドラマとして企画されたのが『エジソンの母』(主演:伊東美咲)だった。情報を得た敬さんが動いた。「愛をこめて花束を」のデモテープがプロデューサーの手に渡り、主題歌としての採用が決まった。
こうして、2008年2月、Superflyの4枚目のシングルとして『愛をこめて花束を』がついにリリースされた。阿木氏は、さらにドラマのプロデューサーにデビュー曲「ハロー・ハロー」も聴いてもらい、ドラマ内で挿入歌としても使用されることが追加決定した。
楽曲の“2曲使い”はSuperflyのアーティストプロモーションの大きな推進力となった。「愛をこめて花束を」はロングヒット(特に着うたⓇではミリオン認定された)し、今ではSuperflyを代表する曲として認知され、結婚式の定番ソングとなっている。
そして、アルバムリリース直前にはau KDDI「LISMO」キャンペーンソングとして5枚目のシングル『Hi-Five』が採用され、CM出演も果たした。その流れがうまくアルバムリリースタイミングにつながり、1stアルバム『Superfly』はオリコン初登場1位。出荷は70万枚を超えた。こうして敬さんは「会社一丸となって推す新人アーティストのブレイク」という公約を絢香に続き、連続して果たしたのである。
藤井“ジャーマン”之康氏(現:ワーナーミュージック・ジャパン ALL RIGHT! 本部長執行役員、オフィスコブクロ 東京オフィス長。以下ジャーマンに統一)は、ワーナーミュージックに入社以来、宣伝畑を歩み、多くを学んだ。そんなジャーマンが敬さんをはじめとする僕らデフスター組と本格的に一緒に仕事をするきっかけは、次なる“桜ソング”代表を目指し、河口恭吾のA&Rを担当していた時だ。当時トレンドだった朝の情報番組からの突破口は開けたものの、“次の一手”が見つからず思い悩んでいた。そんな時、敬さんが河口恭吾でフジテレビ系ドラマ『人間の証明』(主演:竹野内豊)の主題歌を獲得して、スティーヴィー・ワンダーの「A Place In The Sun」をカバーすることになったこと、四角氏がCHEMISTRYで成功していた手法、『NON-PA LIVE』(アカペラライブ)を河口に導入して組んだキャンペーン施策など、デフスター合流組から、アーティストプロモーションとは何かを身をもって示され、“突出して何かをやったら勝てる”ということを学んだという。
テレビ、ラジオなどのメディアにも強く、CMタイアップも動ける、そんなジャーマンの宣伝マンとして縦横無尽に動く姿に敬さんは、A&Rとしての資質を感じていたのかもしれない。2007年にはコブクロのA&Rも任されるようになっていた。
そんな彼がある日、新垣結衣を歌手デビューさせたいというアイデアを敬さんに提案した。ちょうど、グリコポッキーのCM出演などで国民的人気女優への階段を上り始めたそんな時期だった。ジャーマンからの提案は敬さんにとっては大好物だった。そしてジャーマンの熱意と行動力が実り、ワーナーミュージックからの歌手デビューが実現した。“セオリーを無視してインパクト重視で売り出そう!”そんな気持ちでプロジェクトに取り組んだことを思い出す。新進気鋭のアーティスト達に楽曲を提供してもらって、その集大成としてアーティスト・新垣結衣の世界観をアピールしたい。そのためには、シングルではなくあえてアルバムデビューとした。リードシングルとなった「heavenly days」は、所属アーティストのメレンゲのクボケンジの書き下ろしで、主演映画『恋空』(監督:今井夏木)の挿入歌になった。そして、デビューイベントは新垣がレギュラーを担当していたラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』(TOKYO FM)と組み、日本武道館でCD購入者特典かつ、リスナー番組招待の公開録音を行った。そんな新垣結衣の歌手デビューアルバム『そら』は20万枚を超えるスマッシュヒットとなった。
その後、敬さんのアイデアでコブクロとのコラボレーションが実現したこともある。コブクロのインディーズ時代の名曲「赤い糸」を新垣結衣にカバーしてもらう。そして、コブクロの歌うオリジナルは日本生命のCMソングとして、同時期にリリースするというものだ。世界観が共通するそれぞれのMVに新垣結衣が出演し、コブクロのMVは主人公の男性目線、新垣結衣のMVは主人公の女性目線で描かれ、ストーリーがつながっていく。トップ俳優の出演するMVというだけにとどまらない、前例のないコラボレーションとなり大きな話題を集めた。ジャーマンは両アーティストのA&Rとして、敬さんの発想を受け、企画実現に奔走した。
こうして、敬さんと吉田チルドレン達の活躍でワーナーミュージックは最盛期を迎えた。
それから15年、敬さんとお別れしてからは13年の月日が経過した。僕も含めたデフスターからの移籍組はすでにワーナーミュージックを卒業し、それぞれ別の道を歩み始めているし、残ったスタッフ達もスキルアップしながら、敬さんへの想いを胸にそれぞれの持ち場でヒットに向けて全力を尽くしている。
関係者のインタビューで綴った、1年以上にも及ぶ敬さんへの旅はまもなくゴールを迎える。僕らの中に息づいている“タカシイズム”はどんな環境でも、変わらずに存在し続けていく。この連載を通じてそのことを強く実感した。
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