古内東子×相沢友子が語り合う、作品創作における言葉へのこだわり 年齢や時代と共に変化する“恋心”の描き方
1993年2月にシンガーソングライターとしてデビューし、今年3月8日に通算20枚目となるラブソングアルバム『果てしないこと』をリリースした古内東子。1991年3月に歌手デビューしたのち、2000年に脚本家に転身し、今秋には大ヒットドラマ『ミステリと言う勿れ』の劇場公開を控える、脚本家の相沢友子。今回、同世代の女性でデビュー年が近い二人の対談が古内からの希望で実現した。
ラブソングとラブストーリー、音楽と映像という違えはあれども、同じく言葉を扱う表現に向き合ってきた二人が30年間という長い歩みの中でこだわってきたこととはーー。(永堀アツオ)
古内東子と相沢友子の出会いは?
ーー古内さんたってのお願いということで実現した対談となっています。
古内東子(以下、古内):私、友子さんが脚本を書いたドラマの大ファンなんです。10年以上前にお会いした時のこと、覚えていますか?
相沢友子(以下、相沢):共通の知り合いのホームパーティーですよね。その頃はまだ脚本家になりたての頃でした。
古内:ドラマはもちろん、歌手から脚本家への転身も含めて、すごく興味があって、素敵ですねとお伝えして。それ以降もずっと気になっていたし、名前を見つけると、頑張っていらっしゃるんだなと励みになっていました。今回、アルバムのリリースタイミングでお話をするのであれば、言葉を操る方がいいなと思って。友子さんがどういう感じでお仕事してるのか、言葉に対する考えを聞いてみたいなと思ったんです。
ーーオファーを受けてどう感じましたか。
相沢:とても嬉しかったです。私ももちろん、古内さんの歌を聴いていましたし、すごく好きだったんです。ホームパーティーの時は、「現役のアーティストさんだ!」みたいな感じで、緊張していたんですよ(笑)。ドキドキしていた記憶があるんですけど、その時にお会いして、私も勝手に親近感を持っていて。お名前や曲を耳にすると、頑張ってるな、すごいなと私も思っていました。まさかこういう形で声をかけていただけると思わなかったので、ありがとうございます。
古内:いえいえ、本当にお忙しいのを重々承知でお願いしたので、お引き受けいただいてありがとうございます。
ーーデビュー年は近いですよね。お二人ともソニーミュージック所属でしたが親交は当時あったんですか?
相沢:音楽活動をしていた頃はないです。もちろん、古内さんの存在は知っていましたが、イベントで一緒になったこともなかったですよね?
古内:意外となかったですね。会社に行くとポスターでお目にかかるぐらいで(笑)。
相沢:(笑)。スタッフは共通していたので、お話や噂は聞いていたんですけど、会う機会がなくて。
古内:だから、10年前のホームパーティーが初対面でした。
相沢:そう。プライベートで「初めまして」っていう。
ーーそうなんですね。当時はお互いのことをどう見ていましたか。
相沢:歌声や歌詞も含めて、女性としてすごく素敵な方だなと思っていました。私はもう少し泥臭い曲を歌っていたので、自分には持っていないものを持っていらっしゃる方だなと。
古内:当時、「ガールポップ」という言葉があって、女性アーティストがたくさんデビューしていたんです。シンガーソングライターの方もいれば、シンガーの方もいて。いろんなタイプのアーティストがいたんだけど、もう飛びぬけて見目麗しい、女優さんみたいな方だなというイメージでした。
相沢:褒め合っていきましょう(笑)。
古内:(笑)。だから、最初にドラマのクレジットで名前を拝見したときは、同姓同名の方なのかなとずっと思っていて。
ーー相沢さんは2000年にドラマ『世にも奇妙な物語』(フジテレビ系)の「記憶リセット」で脚本家デビューしました。
相沢:その当時は藁にもすがる思いでした。音楽の道がうまくいかなくて、事務所との契約が切れて、本当に一時期何もしてない時期があって。私はほぼ歌詞しか書いていなかったので、やれることといったら書くことだなと思って、小説『COVER』を書いたんです。それが、太宰治賞にノミネートされたことで今の仕事への縁が繋がっていきました。最初はまさか脚本家の仕事をずっと続けていくとは思っていなかったです。『世にも奇妙な物語』の時も、いい思い出になるかなぐらいの気持ちだったんですけど、何かを表現していく場が欲しいというか、必死だったように思います。
古内:私が最初に相沢さんの名前を拝見したのは、『恋ノチカラ』(フジテレビ系)でした。
相沢:懐かしい!
古内:そのドラマが大好きで、再放送も見ましたね。何が好きだったのかというと、やっぱりセリフが好きだったんですね。私と主人公のキャラクターが近いというわけではないんですけど、セリフにすごく共感して。どのドラマを見るときもなんですけど、私はセリフに注目することが多いんです。「そういう言い方するかな?」「そんなのある?」みたいに、斜に構えてしまうというか(笑)、ドラマにもリアリティを求めてしまう。でも、『恋ノチカラ』はドラマの世界でありながらも、やり取りに親近感を感じました。で、脚本を書いたのはどういう人なのかなと思ったら、“相沢友子”と出てたから「え?」と驚いて。
ーー当時は今のようにネットですぐに調べたら出てくる時代じゃないですもんね。
古内:そうなんですよね。友子さんは歌手から転身したけど、どちらにも共通して“言葉”の要素があって。ドラマや映画の脚本に昇華していたことがすごいなと思って、感動しました。どういうプロセスで友子さんが転身なさったかはその時はわからなかったけど、なんて素敵な話だろうと。
相沢:嬉しいです。