DALLJUB STEP CLUB、あら恋、礼賛……活躍を広げるキーマン GOTOが語る、DTM時代に求められるドラマーの在り方
【連載:個として輝くサポートミュージシャン】GOTO
DALLJUB STEP CLUB、あらかじめ決められた恋人たちへ、礼賛という3つのバンドに所属し、デュオやサポートでも幅広く活躍するドラマーのGOTO。メロディック・ハードコアやミクスチャーロックをルーツに持ちつつ、徐々に打ち込みの音楽に傾倒すると、自身のリーダーバンドであるDALLJUB STEP CLUBではダブステップやジュークを人力で演奏し、エフェクトを駆使したそのプレイスタイルは高い独創性を持っている。オルタナティブな姿勢を貫きつつ、「DTMには詳しいがバンド経験はない」という若い世代も増えてきた中で、ロックからビートミュージックまで幅広く対応できるGOTOの活躍の機会が増えたのは必然と言ってもいいかもしれない。3月23日には上記の3バンドに加え、GOTO×OHTAKEKOHHAN、HYPER SARDINES、RHYTHM BILLGATESという3組のデュオ編成、さらにはサポートを務めるösterreich、崎山蒼志、Mega Shinnosukeが一堂に会する『GOTO Festival』を開催するGOTOに、これまでのキャリアを振り返ってもらった。(金子厚武)
ハイスタに目覚めてから“エフェクトを使った演奏”に至るまで
――まずはドラムを始めたきっかけを教えてください。
GOTO:地元の静岡で中高一貫の男子校の吹奏楽部に入って、中1のとき僕はトランペット担当だったんですけど、パーカッションをやっていた高2の先輩が夏に文化祭でHi-STANDARDのドラムを叩いてたんです。それを見て、速いし、激しいし、かっこいいなと思って、ドラムをやってみたくなって。兄もドラムをやっていたので、家にドラムセットがあったから、独学で勉強をしました。先輩が叩いてたのを思い出しながら、「とりあえず速く叩く」みたいな(笑)。中学生のころはずっとハイスタ周りのシーンが好きでしたね。
――メロディック・ハードコアだったり、『AIR JAM』周りということですよね。バンドもすぐ始めたんですか?
GOTO:中1ですぐに友達とハイスタのコピーバンドをやり始めて、それから先輩ともバンドをやるようになったり、他の学校の人ともやるようになったり。まだコピーが多かったですけど、そのころから音楽ばっかりやってました。
――いろんな人と演奏するのは昔からなんですね。オリジナルのバンドはいつからやり始めたんですか?
GOTO:中3のときにつき合ってた彼女の友達に誘われて、彼女と一緒に観に行ったライブがあったんですけど、そこにポルンガっていうバンドが出てて。そのバンドのドラムがその日のライブで脱退だったらしいんですね。で、そのライブが終わった後に、彼女が勝手に「私の彼氏、ドラムやってるから入れてあげて」みたいなことを言ったらしく、なんだかよくわからないままポルンガに入ることになって(笑)。そこでベースを弾いてたのがDALLJUB STEP CLUB(以下、ダルジャブ)でも一緒にやってるBENCH.さんなんですけど。
――そこからずっと一緒にやってるのはすごいですね。ちなみに、ポルンガはどんなバンドだったんですか?
GOTO:BRAHMANみたいなバンドでした。高校生になってからはBENCH.さんと、ポルンガのギタリストだったメンバーと3ピースのバンドをやって、それはRage Against the MachineとかSystem Of A Downみたいなミクスチャーロックやニューメタルに影響を受けたバンドで。高校を卒業してからは東京に出てきて、その3人と静岡時代からの先輩と4人でまたバンドを始めて、ギターが抜けて3人になったのがDACOTA SPEAKER.です。
――今につながるエフェクトを使ったプレイを始めたのはDACOTA SPEAKER.から?
GOTO:そうですね。最初はパッドを使い始めたんです。20歳くらいのときはUnderworldとか打ち込み系が好きになって、そのあとにフレンチエレクトロが流行って。ああいう電子音の感じをバンドでやる人も増えてたから、自分もパッドを使ってやってみようって。で、それとは別にダブバンドを観たときに、「こういうドラムの音、面白いな」と思って、自分で調べてエフェクターをいろいろ買って試したりを繰り返して、今のダルジャブのエフェクト多めなセッティングにたどり着いた感じです。
――セッティングを構築するにあたっては、誰かから影響を受けたりはしましたか?
GOTO:通常ドラムのセッティングに関しては、BOBOさんに憧れてどんどん数が減っていったんですけど、エフェクトに関しては特にいないかもしれないです。ダブバンドは普通PAがエフェクトをかけるわけですけど、あれを自分でやりたいと思ったんですよね。今だったらInstagramを見ればそういうことをやってる人もいるんですけど、当時はまだアンダーグラウンドの人たちの映像が見られる機会もそんなになかったから、とりあえず買って試してをずっと繰り返してました。
――試行錯誤を続けて、自分のスタイルが見えたのはどんなタイミングでしたか?
GOTO:知り合いに作ってもらったフットスイッチがあるんですけど、それは踏んでる間だけ音が通るんです。踏んでる間だけ音が切れるものは市販でもあるんですけど、踏んでる間だけ音が通るものはないらしくて。それを作ってもらって、叩くタイミングで踏むとエフェクトがかかるっていうシステムにしたら、それがすごくよくて、ディレイとかリヴァーブも自由自在にかけられるようになって。そこからいろいろ広がった感じがします。
――手元にあるエフェクターは何を使ってるんですか?
GOTO:KAOSS PADです。最初はそのフットスイッチがなかったので、エフェクトをかける用のスネアを用意してたんですよ。それを叩いたときだけエフェクトがかかった音が出るようにゲートをかけて、そのシステムでしばらくやってたんですけど、それだと演奏の自由度が少なくて。今はエフェクターと足だけっていう、シンプルなセッティングになってます。
DALLJUB STEP CLUB始動、「叩いてみた動画」が広がりのきっかけに?
――ダルジャブは2012年にスタートしていて、GOTOさんにとって初のリーダーバンドと言っていいかと思いますが、もともとどんなことをやりたいと思って結成したバンドなのでしょうか?
GOTO:クラシックなダブステップとか、クラシックなジャングルとか、「地味だけどベースが効いてる」みたいな、そういうのをバンド編成でやれないかと思って始めました。
――そこから本格的にビートメイクも始めたんですよね?
GOTO:ちょっと前から遊びでシーケンスを使って打ち込んだりはしてたんですけど、パソコンを使ってちゃんとやるようになったのはそのころからです。シーケンス感が好きっていうか、手癖で叩くドラムフレーズではないものが作れるのが好きで。人間には叩きづらい、無理してる感じのビートを作って、普通はそれを叩きやすいように直して、バンドで演奏すると思うんですけど、それをしたくないっていう。
――パソコンで作ったビートをそのまま人力で再現すると。
GOTO:そういうことをダルジャブでやり始めて、やっぱりこの感じが面白いなって。他の人と同じになりづらいというか、打ち込みだから、普通のドラムだとあり得ない手足の数のものが作れて、そういうクリエイティブな部分に惹かれましたね。
――めちゃくちゃ細かい譜割りだったりすると思うんですけど、どうやって叩けるようになったんですか?
GOTO:未だにできてるかどうかはわからないですけど(笑)、とにかく練習して、そのフレーズを覚え込ませるしかないと思います。あとは、“マス”を自分の中に作ってないとできないというか。
――グリッドをイメージしている?
GOTO:そうですね。「マス2個目にキックがある」とか。それが脳内で再生されて、その通りに動いてる、みたいな感じ。そうやって思い浮かべながらやらないと、しっかりハマらないかもしれない。
――最近は生演奏もトラックメイクも兼ねるドラマーが昔より増えたと思うんですけど、GOTOさんから見て刺激になったり、面白いと思うドラマーを挙げてもらえますか?
GOTO:めっちゃいますよ。石若(駿)くんにしろ伊吹(文裕)くんにしろ、その下の世代でもBREIMENのSo Kannoくんとか、みんなすごい。きっとあらゆる人から影響は受けていて、「この人のこれ、いいな」みたいな感じで、叩き方やフレーズを参考にすることはあるんですけど、自分の中で「この人は神」みたいな人はいなくて。みんなそれぞれの道があるし、自分は自分だし、そういう意味では周りのことはあまり気にしていないかもしれないですね。
――2015年にあらかじめ決められた恋人たちへ(以下、あら恋)に参加したあたりから、徐々にサポートの仕事も増えていった印象なんですけど、「ドラムを仕事にしよう」と思ったタイミングはあったのでしょうか?
GOTO:ダルジャブを始めたときに、「自分はどうなりたいんだろう?」っていうのを考えたんですけど、当時toeがすごく流行ってたのもあって、「一個のバンドで食いたい」というよりは、柏倉(隆史)さんみたいに自分のバンドもやりつつ、ドラムの仕事もやるっていうふうになれたらいいなと思って。とはいえそう思ってもすぐになれるわけではないので、「叩いてみた動画」みたいなものをYouTubeに上げてみたんです。当時は「アニソンのドラムを叩いてみた」みたいな動画が流行ってたんですけど、自分は好きなものを叩いてみようと思って。
――ジューク/フットワークを叩いた動画ですよね。
GOTO:それを上げたら結構いろんな人が見てくれたみたいで、あら恋の池永(正二)さんもそれを見て連絡をくれて。僕はもともと普通にあら恋のファンで、ライブにも行ってたから、びっくりはしたんですけど、あら恋で叩き始めたのをきっかけに、今度は劒(樹人)さんが「アイドルのサポートやってみない?」って声をかけてくれたり、いろんな人が誘ってくれるようになって。未だにあの「叩いてみた動画」を見て連絡が来ることもあって、自分にとって大きな意味のある動画だと思います。
――その後は2017年にRHYTHM BILLGATES、2019年にGOTO×OHTAKEKOHHAN、2020年にHYPER SARDINESと、それぞれ色の違うデュオをスタートさせていますが、このころはどんな時期だったと言えますか?
GOTO:……焦ってたんですかね? 「とにかく音楽を作りたい」みたいな時期だったのかもしれないです。ダルジャブとあら恋をやってる一方、バンド外の仕事も少しずつやるようになって……でも「もっと面白いことをやりたい」みたいな時期だったのかなあ。もちろん、生活のこととかもあったけど、そこまで真面目に考えていなかったというか、あまり計算できるタイプではないので、まずは「好きにやろう」っていう。実際、全然食えてなかったですけどね。バイトめっちゃしてたし、家がない時期もあったし(笑)。
――少しは焦りもあったのかもしれないけど、やっぱり「いろんな人と演奏するのが好き」っていう根本的な部分は変わってないのかもしれないですね。
GOTO:そうですね。そこはずっと変わってないかもしれない。究極的なことを言っちゃうと、「とにかく音楽を楽しんでいたい」っていうのが第一なので、とにかくいろんな人と好きなことをやりたいんですよね。