オジー・オズボーン、半世紀以上もメタルファンを魅了する“狂気と愛嬌” ツアー引退を機に振り返る伝説の破天荒エピソード
1970年にBlack Sabbathのボーカリストとしてデビューして以来、世界中のロック/メタルファンを魅了してきたオジー・オズボーン。通称“プリンス・オブ・ダークネス”として知られるメタルのパイオニアである彼は先日、今年5月から開催予定であったJudas Priestとのツアーをキャンセルし、ツアーを引退すると発表した。オジー・オズボーンはSNSにて、以下のようにコメントしている。
「こんな感じで自分のツアー人生が終わるとは思っていなかった。これは根強く応援してくれるファンに今まで伝えてきたことのなかで、最も難しいことだ。みんな知っている通り、4年前の2月に大きな事故に巻き込まれて、脊髄を損傷してしまった。私の唯一の目的は、ステージに戻ることだった。歌うことは問題ない。しかし、3回の手術、ステムセル治療、数え切れない回数のフィジカルセラピー、そして最新のサイバニクス治療を受けた今でも、私の身体は弱い」
「みんなが忍耐強くチケットを持ったまま待ってくれたなか恐れ多いが、身体がヨーロッパ/UKのツアーを開催するための渡航に耐えられないことに気がついた。ファンを落ち込ませてしまうと考えると、本当に悔しいし、おかしくなりそうだ。みんなが思っている以上に」(※1)
オジー・オズボーンは、数々の治療を施した後でも、脊髄の損傷が回復をしていないと明かした。2003年にはオフロードカーで事故に遭い、2019年に自宅で転倒した際にはその事故の際の怪我が悪化。2020年1月には実はパーキンソン病を患っていることを明かしており、6月には手術を受けていた。
ツアーのための移動をすることが難しいと明かしたオジー・オズボーンであるが、渡航をせずにパフォーマンスをする方法を現在模索しているとも明かしている。彼のツアー引退の知らせを受け、多くのファンが「50年間、ファンのために全力を尽くしてくれてありがとう」という旨のコメントを寄せている。
オジー・オズボーンは、Black Sabbathで9枚のアルバム、そしてソロアーティストとしては13枚のアルバムをリリースしている。メタルというジャンルのパイオニアとして歴史に名を残してきたが、彼は多くの問題を抱えながらも常に全力で突っ走ってきたと言えるだろう。メタルというジャンルでは珍しく、かつ今までの様々な奇行からは想像できないほどの愛されキャラを貫いてきた。
メタルの祖の一人として評価されているオジー・オズボーンであるが、他のメタルパイオニアとは違い、彼はその“人間味”で常にファンと繋がってきたように感じる。ロックンロールのパイオニアであるリトル・リチャードや、同年代に活躍していた他のロックボーカリストに比べて、ビブラートのない“平ら”とも言えるストレートな歌で人々を魅了してきた。『Black Sabbath』(1970年)、『Paranoid』(1970年)、『Master Of Reality』(1971年)でメタルサウンドの礎を築いたBlack Sabbathであるが、オジー・オズボーンは1978年にドラッグ問題が原因で解雇されるまでも驚きのエピソードを多く残している。彼は完璧からは程遠く、悪気のないワイルドさと自然なクレイジーさで、“等身大のロックスター”という、矛盾もしかねないキャラクター性で愛されてきた。
1978年に開催されたVan Halenとのツアーでコカインを大量に摂取した後に行方不明になり、捜査の末、警察によって亡くなったと推定されたり、アルバム制作予算を大幅に超える金額をドラッグに使用したり、ライブ中にファンがステージに投げ入れたコウモリを噛みちぎり、狂犬病の治療をしながらツアーをまわったり、記者会見で鳩の首を食いちぎったり、蟻の行列を鼻から吸引したり、重要文化財に立ち小便をしたり……その他にも驚きの行動でオジー・オズボーンは常に話題になってきた。ドラッグやアルコールによって多くの奇行や過ちを犯してきたオジーであるが、ブルースやヒップホップのように、作品でも自身の“等身大の弱み”だけではなく、立ち直る力も示しているようにも感じる。