水野良樹(いきものがかり)×大塚 愛、同い年で“ある景色を見た”二人 HIROBA「ふたたび」でのコラボに至るまで

水野良樹×大塚 愛対談

 水野良樹(いきものがかり)と大塚 愛の対談が実現した。

 両者は、水野良樹のソロプロジェクト・HIROBAが2月15日にリリースするフルアルバム『HIROBA』の収録曲「ふたたび(with 大塚 愛)」を共作。サウンドプロデュースと編曲を蔦谷好位置が手掛けた、スローで胸に染み入るようなデュエットナンバーだ。2022年春に行われたHIROBAの対談企画「対談Q」での出会いをきっかけに、アイデアを持ち寄り、レコーディングスタジオで共に詞曲を制作したという。

 ともに1982年生まれで現在40歳という二人。対談では楽曲制作の裏側だけでなく、それぞれのキャリアや世代観、作り手としての価値観など、同い年だからこその距離感で語り合ってもらった。(柴 那典)

“40歳”に似合うのは作務衣、人生のスタート

――お二人が初めてお会いしたのは?

水野:初めてちゃんと喋ったのは「対談Q」のときでしたね。

大塚:それ以前にどれくらい一緒の現場にいたのかわからないんですけど、私が覚えてるのはいきものがかりが「SAKURA」で初めて『Mステ(ミュージックステーション)』に出たとき。

水野:僕はそれを覚えてないんです。だから2007年にさいたまスーパーアリーナであったライブイベントが初対面だと勝手に思ってました。その時は緊張してたんで「ああ、大塚 愛だ」みたいな感じでいたのを覚えてます。

【対談Q】前半:大塚愛---歩んできた道は修羅の道!?---
【対談Q】後半:大塚愛---共感の嵐!同じ歳の心内---

――「対談Q」でのトークは振り返ってどういう経験でしたか?

水野:僕は一度曲作りの話をしてみたいとずっと考えてたんで、これがきっかけになればいいなって思ってました。デビューした当時じゃなくて、それなりに長くやった上でお会いできたのもすごくよかったと思います。同い年で、同世代でいろいろやってきたというところでわかりあえる部分を喋れるタイミングだったので。

大塚:私、ずっと年下だと思ってたんです。最初のいきものがかりの雰囲気もすごくフレッシュだったし、若い感じのイメージだったから、勝手に年下なんだろうなって。だから初めて喋ったときに同い年だって聞いてびっくりして。同い年の方と喋る機会って今まであんまりなかったんですよ。若い頃は年上の方が多かったし、歳を重ねると今度は周りの人もスタッフも年下ばっかりになってきて。だから同い年と喋るのがすごく新鮮でもあり、分かり合えることが多くて。心強さとか安心感もあって、嬉しかったですね。

――この対談をやっているのが1月9日でまさに成人の日なんですが、40歳って、成人してからちょうど20年経った「大人の成人式」みたいなところはありますよね。お二人にとって、キャリアを重ねて40代になった感慨はどんなものがありますか?

水野:さっきも二人でそんな話をしてたんです。「赤いちゃんちゃんこを着るまであと20年だね」って。成人式は振袖を着るし、還暦になると赤いちゃんちゃんこを着る。その中間の40歳に合う服って何なんだろうねっていう雑談をしていて。で、僕は「作務衣じゃないか」って言ったんです。まだ現役で、着飾るわけでもなく、ただただ作業していくというような感じがあって。周りを気にせず本質に近づくみたいなイメージもある。「対談Q」でお話しした時も「いろいろやってきたよね」っていう話をしたんですけど、大塚さんはスポットライトを浴びて歌わなきゃいけない瞬間が何度もあって、僕は僕でサイドにいたけどそれなりに工夫をしてやってきて。いろんなことをやってきた上で、削ぎ落とされて、何が大事かをシンプルに考えるようになっている。そういうところが作務衣のイメージにリンクしているような気もします。

――たしかに、奥田民生さんとか松本人志さんとかも、30代後半から40代くらいのタイミングで作務衣を着るようになったイメージがありますね。『ひとり股旅』とか『一人ごっつ』とかで。

大塚:水野くんも着ないとね、やっぱり(笑)。

――大塚さんはいかがでしょうか?

大塚:人生のスタートみたいな感じがしてますね。ここからは終わりを見据えて生きていくというか、自分の中で「素晴らしい終わりに向かっていくためにはどうやって生きていこうか」みたいに考えるようになったところがあって。若い頃には「あれがしたい、これが欲しい」と動いていたのが、「どうやって生きていこう」と考えるようになった。身体のしんどさは年々増していくし、逆に手を抜く場所が分かってきて、気持ちが楽になるところもある。でも、ここからいったいどんなしんどいことが待ってるんだろうって。先輩方みんなが「40代の壁はすごいよ」っておっしゃるから、それなりに心していかないとなと思うこともあります。若いときには気にしなくてもよかったけれど、トレーニングをしたり、食べ物に気をつけたり、しっかり考えて生きていかなきゃいけないよなって。そう思うと人生のスタートな感じがしていますね。

同い年かつ“ある景色を見た”という共通点

――お二人は1982年生まれで、同世代ならではの共通した感覚もありそうですが、そのあたりはどうですか?

水野:中学生の時は何を聴いてました?

大塚:ヒット曲ばっかり聴いてました。ドラマが好きだったのでドラマの主題歌をまず全部聴いて、ボイトレを始めてからは歌を鍛えるための曲も聴いてましたけど、基本はオールジャンルな感じで。あまりこれっていう感じじゃなかったんですよね。

水野:(二人が学生時代だった)90年代は音楽番組の全盛期だったんですよ。音楽番組を観てないとクラスで話題についていけないみたいな感じで。そういうJ-POPがキラキラしてるときに育ったっていうのは共通点としてあるかもしれない。

大塚:テレビに出れば売れるって勘違いしてましたからね。

――デビューしてからのお二人のキャリアを振り返って、水野さんと大塚さんが作り手として共感したところって、どういうところがありましたか?

水野:20歳くらいの時に大塚さんが世に出てきて、いい意味で「職業作家みたいな方だな」って思ったんです。作家性が強い人で、とにかくものづくりが好きで、それを冷静に計算して作ってる人なんじゃないかって。同い年の人が20代前半でそういうことをキラキラとしながらやっていて「すげえな」って思っていた記憶がずっとあって。自分はキラキラする方向ではなかったけど、ただ同じように、作ることに興味が強いし、俯瞰でパーツを合わせていくようなことが好きだから。そこの感覚は共感するところがあるんじゃないかと。話をして、そこはたぶん当たってたんじゃないかと思います。

――大塚さんはどうでしょう?

大塚:デビューして、どのアーティストも同じようにスタートして、そこから道が分かれるじゃないですか。その中で、ある景色を見るアーティストと、その景色を自ら見ない人もいるし、たまたま見たけど一瞬でわからなくなっちゃう人もいる。そこもまたバラバラに分かれると思うんですけど、ある景色を見た後、その後どこに行く? どうする? っていうことって、見た人じゃないとわからない葛藤だったり不安だったり戦いがあるのを感じていて。先輩方にはそういう話を伺ったりしてたんですけど、みんなレジェンドすぎるから「自分はあんなにすごくないしな」とか思ったりして。その中でずっと、ある景色を見た人じゃないとわからない葛藤みたいなものを、誰かと「わかるよね」と話したいなって思ってて。自分の中でもそれが解消されないまま、ときには重荷にもなっていて、そんな時に同い年で、ある景色を見た人ーー水野くんがいたんです。「あ! いたいた!」みたいな感じだった。それは大きいですね。

大塚 愛

――たとえばテレビだったり、アリーナだったり、『紅白』だったり、いわゆる華やかな場所を見たあとに、どう続けていくか、どんな風にやっていくかという悩みが生まれるという。そんなところも共通していたんですね。

大塚:それに、誰かが曲を作ってくれて歌うのか、自分で作るのかでも分かれると思うんです。作る側としても、ある景色を見た後、何も聞かないで自分の思ったものだけをやるのか、聞こえてくるものを大事にするのかとか、いろいろあるじゃないですか。自分だけじゃなく、色々な関わりだったりとか、守らなきゃいけないポジションだったり、そういうことがある中でものを作るって、やっぱりちょっと負担が大きいんです。心を削って作ってるから。それを喋れる同い年の人がいてよかったですね。

――前回の対談の最後では「今度一緒に曲を作りましょう」と言っていましたが、あの時点で、コラボに至る話はどれくらい現実だったんでしょうか?

水野:いや、なかったですね。具体的なことは何もなくて。

大塚:まったくなかったです。

――具体的に話が始まったのはいつ頃でした?

水野:去年の夏過ぎぐらいですね。「HIROBAでアルバムを作るんだけど、新曲を一緒に作ってくれませんか」って、ストレートに声をかけました。一緒にやることはずっと考えてたんですけど、最初はもしかしたら自分たちがパフォーマンスするんじゃなくて、楽曲提供という形でタッグを組むとか、全然違う形もあり得るかもしれないと考えていて。でも、お互いがアイデアを出し合って、一番理想的な形でできたと思います。

――大塚さんは、声がかかってのファーストインプレッションはどんな感じだったんでしょうか?

大塚:私がその前の年にアルバムを出して、そのアルバムが自分の中での大きな決断というか、岐路になったというのもあって、それを機にちょっと一度ものづくりを休みたいなって思ってたんですよね。今後続けるかも含めてちゃんと考えたいと対談の時にも言っていたんですけど、そこがまだ決断もできてない状況で。その後も結構な愚痴を水野くんに聞いてもらって(笑)。それもあって、私が曲を作らなくても「作ってくれればいっか!」「楽そうだからやろう」みたいな感じもありました。

――HIROBAは水野良樹ソロプロジェクトではあるけれど、単なるソロプロジェクトとも違う、コンセプチュアルなものであるわけで。そこに関してはどんな風に見てましたか?

大塚:入り口はそんなに考えてなかったんですけど、最初に2曲を作って渡したんです。自分が好きなものと、世間に受け入れられやすいんじゃないかっていう2つを作って。最初の打ち合わせでも「どれくらい世間が好きそうな感じで取り組めばいいかな」みたいなことを言ったんですけど、私はすぐにそこを考える癖があって。自分のプロジェクトだとそういうものばかりをやってきたんですけど、HIROBAではもう1曲のほうの「ふたたび」を選んでもらって。そのときに「そういうことじゃなくて、楽曲をちゃんと愛せるものでいい」というか、今までやってきたことを全部取り払って、ただ素晴らしいって自分が思える音楽をちゃんとやろうよという場を作っていて、そこに入れてくれたんじゃないのかなと思いました。

水野:おこがましい言い方ではあるんですけれど、やりたいことをやってほしいっていう気持ちはありました。なるべく素直になれるようなもの、素直でいられるものを選ぼう、と。僕自身もそうありたいので。

――どういうところからそう思うようになったんでしょうか。

水野:別に重苦しい話ではないんですけど、自分自身も辞めることについて考えるときとか「このまま音楽の道を続けるのはどうなんだろうか」みたいなことを思う時はあるから。そういう思いを吐露された時に、共感する部分もあった。でもやっぱり「作る人でしょう!?」っていう気持ちもあったから、それがよみがえってほしいし、そこに貢献できるかもしれないという気持ちもありました。

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