大貫妙子や山下達郎が世界的にリバイバルヒット みのが考える、シティポップが今求められる理由

みのが語る、シティポップの魅力

 シティポップという言葉がすっかり定番となった2022年。シティポップリバイバルからネオシティポップのシーン熟成に至るまで、その盛り上がりの勢いはまだまだ続きそうだ。

 そんな中、2枚のコンピレーションアルバムがリリースされて話題になっている。ひとつは、70年代から現在までを網羅するシティポップコンピの決定版といえる『ALDELIGHT CITY -A New Standard For Japanese Pop 1975-2021-』。もうひとつは、海外視点によるセレクトがユニークな『TOKYO SOUVENIR-GREAT TRACKS FROM THE GOLDEN ERA OF JAPANESE POPS-』だ。また、両作品にも楽曲が収められ、シティポップの代名詞的存在でもある大貫妙子が、新曲「朝のパレット」と「ふたりの星をさがそう」を2月25日に発表した。

 こういった一連の動きについて、自身もミュージシャンであり、音楽YouTuberとしてチャンネル「みのミュージック」で音楽シーンを分析し続けてきた、みのにたっぷりと語ってもらった。ここ最近のシティポップにおける状況をウォッチし続けてきた彼ならではの、明晰なシティポップ観を感じていただきたい。(栗本斉)

みのから見た、シティポップとは?

ーー最初にシティポップと呼ばれている音楽を意識したのはいつ頃ですか。

みの:高校生の頃、当時御茶ノ水にあった「ジャニス」という貸しレコード店に通っていたのですが、そこにいわゆる“邦楽の名盤”がずらっと揃っていたんです。人気作の印にハンコが押してあって、それを順番に借りていったのがきっかけですね。はっぴいえんど人脈から山下達郎さん、大貫妙子さんなどに触れたのはそのあたりからです。

ーーリアルタイムの音楽と比べるとどうでしたか。「なにか違うぞ」とか、「ここはつながっている」とか。

みの:2000年から2005年くらいの間に思春期を迎えたのですが、僕は当時の音楽にまったく共感できなかったんです。もちろん、もうちょっと詳しい情報にアクセスできていたらインディーで面白いアーティストもたくさんいたんでしょうけれど、インターネットもそこまで普及していない状況だったし、テレビから鳴っている音楽しかリアルタイムの音楽はわからなかった。そういう環境だったから、旧譜に興味が向いたのかもしれないですね。

ーーみのさんはシティポップという言葉にどういうイメージを持っていますか。

みの:定義するのはとても難しいですよね。言葉の意味がどんどん変化していると思うし、最近は海外でも話題になって、それによってさらに枠組みが変わってきていますから。僕はJ-POPと呼ばれる音楽を聴いてきた世代ですが、もともとラジオ局のJ-WAVEが「J-POP」という言葉を作ったときって、(山下)達郎さんや大滝(詠一)さんもその枠組みだったと思うんですよ。でも今の感覚だと、そのあたりをJ-POPと呼ぶよりも、シティポップといったほうがしっくり来ます。だから僕はあくまでも感覚で捉えています。

ーーシティポップはサウンド面が非常に重要かと思うのですが、そのあたりはどう考えていらっしゃいますか。

みの:シンガーソングライター的な姿勢と、日本の歌謡秩序的な音楽の作り方の融合というのがシティポップかもしれないですね。敏腕のスタジオミュージシャンがたくさんいて、曲によって入れ替わって、最適なものを作るっていう。もちろんアーティスト人脈もシティポップでよく見るスタジオミュージシャンと歌謡曲の顔ぶれは違うとは思いますが、方法論としては昔から日本で根付いているポップスの制作の手法と、ニューミュージック畑のシンガーソングライター的な考え方がうまくくっついて、売れる音楽を作ったっていうことではないかと思います。

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