シティポップ(再)入門:松原みき『POCKET PARK』 「真夜中のドア~stay with me」と共に再評価すべき理由

 日本国内で生まれた“シティポップ”と呼ばれる音楽が世界的に注目を集めるようになって久しい。それぞれの作品が評価されたり、認知されるまでの過程は千差万別だ。特に楽曲単位で言えば、カバーバージョンが大量に生まれミーム化するといったインターネットカルチャー特有の広がり方で再評価されるケースが次々登場している。オリジナル作品にたどり着かずとも曲を楽しむことが可能となったことで、それらがどのようなバックボーンを持ち、どのようにして世に生み出されたのかといった情報があまり知られていない場合も少なくない。

 そこで、リアルサウンドではライター栗本斉氏による連載『シティポップ(再)入門』をスタートした。当時の状況を紐解きつつ、それぞれの作品がなぜ名曲・名盤となったのかを今一度掘り下げていく企画だ。毎回1曲及びその曲が収められているアルバムを取り上げ、歴史的な事実のみならず聴きどころについても丁寧にレビュー。当時を知る人、すでに興味を持ってさまざまな情報にふれている人はもちろん、当時を知らない人にとっても新たな音楽体験のガイドになるよう心がける。

 連載第7回となる今回は、シティポップの代名詞的存在の一曲として世界的大ヒットを記録した松原みき「真夜中のドア~stay with me」及び、1stアルバム『POCKET PARK』について論じていく。(編集部)

松原みき『POCKET PARK』

 世界中で「真夜中のドア~stay with me」がブレイクしている。2020年末に話題となったこのニュースは、なかなか刺激的だった。Apple MusicのJ-POPランキングでは50カ国で1位となり、90数カ国でランクイン。Spotifyのグローバルバイラルチャートでも長らく上位をキープ。本稿執筆中の2022年2月時点では、Spotifyの再生数が軽く1億回を越えているのだ。40年も前の日本語曲としては、異例であり他に類を見ない。ヒットの要因はインドネシアのYouTuberであるレイニッチによる日本語カバーがバズり、TikTokをはじめとするSNSで使用されたことだといわれている。

【Rainych】 Mayonaka no Door / STAY WITH ME - Miki Matsubara | Official Music Video

 ただ、単にヒットのレールに乗ったというだけではなく、楽曲の良さがあってこそなのは言うまでもない。そういった意味においても、「真夜中のドア~stay with me」はシティポップの代名詞的存在の一曲でもあり、日本を代表する世界的なヒットといってもいいだろう。

「真夜中のドア〜stay with me」/ 松原みき Official Lyric Video

 では、これほどまで海外受けする「真夜中のドア~stay with me」とは、いったいどういう楽曲なのだろうか。松原みきのデビュー曲として1979年11月5日に発表されたこの曲は、作詞が三浦徳子、作曲と編曲が林哲司というヒットメイカー・コンビによるもの。とはいえ、三浦は前年に八神純子の「みずいろの雨」で注目を浴びたばかり。林はすでにシンガーソングライターとしてデビューしていたが、それほど知名度があったわけではなく、初のヒット作となった竹内まりや「SEPTEMBER」がリリースされたのは、「真夜中のドア~stay with me」のわずか2カ月ほど前である。いわば新進の勢いある作家にデビューを託したというイメージだろうか。このことからも、松原みきをフレッシュな感覚で売り出そうとしていたことがよくわかる。

 勘違いしてはいけないのが、「真夜中のドア~stay with me」は今になって急に再発見されたわけではないということだ。当時からその歌唱力やサウンドは評価が高く、実際にセールスのチャートでは28位まで上昇しているし、実売も10万枚を超えているという記録がある。また、90年代以降もDJの間では和モノディスコとしてターンテーブルに乗せられることは多かったし、時代に関係なくコンスタントにこの曲をカバーするシンガーは多かった。それだけ普遍的な魅力を持つ一曲なのだ。そこには林哲司によるディスコやソウルを基調にした普遍的な魅力を持つアレンジの力も大きい。参加ミュージシャンは、林立夫(Dr)、後藤次利(Ba)、松原正樹(Gt)、渋井博(Key)、穴井忠臣(Per)、ジェイク・H・コンセプション(Sax)。いずれも実力派として高く評価されている面々であり、林哲司による当時の最先端サウンドを見事に構築したのである。そして、そのサウンドが、きらびやかなメロディと、ジャズがベースにある日本人離れした歌唱力を見事に映えさせたのだ。

 このような名曲に恵まれた松原みきもまた、選ばれるべき歌い手だった。大阪出身の彼女は、母親がジャズシンガーだったこともあり、幼少時からジャズのスタンダードに親しんできた。中学生になるとロックバンドで活動を始め、高校3年でジャズクラブや米軍キャンプなどで歌っていたというから、まさに天才的なボーカルセンスを持っていたのだろう。「真夜中のドア~stay with me」でデビューする時点ではまだ19歳だというのが信じられないほど、大人っぽく完成された歌声の持ち主である。「真夜中のドア~stay with me」発売1カ月後の12月5日には、同じく三浦徳子と林哲司のコンビが楽曲を提供し、西友のキャンペーンソングに使用されたどこか「SEPTEMBER」を思わせるミディアムグルーヴの「愛はエネルギー」をリリース。そして翌1980年1月21日に初のアルバム『POCKET PARK』を発表するのである。

 『POCKET PARK』は、単に「真夜中のドア~stay with me」を収録したアルバムということでは語りきれない魅力を持つ作品だ。林哲司が手掛けたのは、「真夜中のドア~stay with me」と「愛はエネルギー」以外には、シングルのB面曲だったメロウで美しいバラード「そうして私が」という3曲のみ。他の収録曲は、いずれも和製ソウル的な路線を踏襲しつつも、幅の広い作品が揃っている。林哲司と同じくらい重要な役割を果たしているのが、大橋純子のバックバンドとして活動していた佐藤健率いる美乃家セントラル・ステイションの存在だ。とくに「It's So Creamy」のアーバンファンク路線は「真夜中のドア~stay with me」と並ぶクオリティの高さを誇る。さらにソリッドでファンキーな「Cryin'」、マイナー調のメロディとボサノヴァ風のリズムが哀愁を醸し出す「That's All」とA面に収められた美乃家セントラル・ステイションとコラボレートした3曲は、林哲司のキャッチーな楽曲にもテイストは近いが、よりエッジが効いた印象が強い。

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