CAPSULE 中田ヤスタカを紐解く“7つの質問” DTM先駆者が振り返る、特異な制作スタイルが常識になるまで

CAPSULE中田ヤスタカを紐解く“7つの質問” 

<質問3>コロナ禍における日常生活の変化

コロナ禍において、中田ヤスタカさんの日常生活に変化は起きましたか?

中田:ステージ上の自分をイメージしないで曲を作るようになったかな。最初の方の話題に戻りますけど、“何用の音楽か?”ってことなんですよ。

ーーああ、それもまたポジティブに制約であり制限だったと。

中田:ありがたいことにDJとしてステージに立つ機会にも恵まれてきましたが、たくさんの出演者の中のひとりになったときに、難しい面としてはDJを前提に求められるポイントってあると思うんです。競技のようにルールの中で面白いことをやる、みたいな。ビートがそのジャンルのルールから外れると、そのシーンにはいられなくなるというか。半分ルールを守って、半分オリジナリティーを出すことが大事なんですよね。でも、自分がやりたいこととシーンが何十年も一致することなんてありえないじゃないですか。そんな考え方でいうと、僕は出ていく場所と作る欲のある音楽に差があったんです。

ーーうんうん、“何用の音楽か?”ということですね。

中田:“どうしましょ?”って話にもなるんですけど、でも今は“何用の音楽か?”ということをまったく意識していないんです。それがCAPSULEの原点だし、CAPSULEとしてしっくりくる音楽の作り方なんです。

ーーはいはい。

中田:“何用の音楽か?”というのは、アーティストによって異なると思うんです。カラオケでいっぱい歌って欲しいと思って作る曲もあるでしょうし。自分がフロントに立ってオーディエンスを盛り上げたい曲の作り方もあるでしょうし。

ーー“何用の音楽か?”ってパワーワードだなあ。

中田:制約は嫌いではないのですが、CAPSULEにとっては決め事がない方が作りやすいんですね。CAPSULEって、当初はライブすらやっていなかったんです。ライブでは、お客さんが盛り上がっている姿を作りたくて必要となる曲ってあるじゃないですか。フェスっていうのは、盛り上がっていないと失敗しているように見えてしまう怖い空間なんで(苦笑)。もちろん、それをクリアすることが楽しいんですけどね。逆に成果を出すには“こういう風に音楽の構造を作れば、このタイミングで人は動いてくれるんじゃないか”、みたいな考え方をしながら曲を作ることもあって。でも、ふと、それ以外の作りたい音楽がたまってきたんです。今は、たまってきた音楽を出すのがCAPSULEの活動としていいんじゃないかなって。

ーー時が巡ってきたんですね。

中田:フェスで盛り上がる曲をかけることが嫌ってわけじゃないんです。でも、それだけがやりたいことではなくて、いろんなチャンネルがあるんです。CAPSULEでやりたいこととは違うけどってことで、ソロでいろんなアーティストとコラボする楽しみもありますし。今、いろんなことを同時進行で進めているんです。それはCAPSULEで今後やっていこうとする軸とは異なる音楽性もあります。

 今は、世界中の表現者と一緒に曲を作れる時代なので。でも一緒にライブをするぞってなったときに、自由度が高すぎると難しいじゃないですか。それもまたリスニング重視で曲を作る理由になるんですよね。元々がそうだったんですよ。僕はステージに立ちたくて曲を作りはじめたわけではないので。ステージに立った方がいいというのは、プロとしては思うんですけどね。でも、僕の望みではないのかな。真逆のことを言っている友達もいるんですよ。盛り上がる新曲を作らないとステージに立てないや、とか。僕はどちらかといえば、蕎麦屋のガラス張りのところで蕎麦を打っているところを見てもらっている感覚なので。見せるのは仕事ではないけど、ああいうのがあった方がお店は盛り上がるじゃないですか。

ーーそれはめっちゃわかりやすい。

中田:メインは美味しい蕎麦を作りたいだけなんですよ(笑)。作品重視ということですね。

<質問4>CAPSULEが結成当時、ライブ活動を行わなかった背景

なぜ、CAPSULEはユニット結成時、ライブ活動をしなかったのでしょうか? 

中田:インストア(ライブ)とかも嫌で、めちゃくちゃワガママ言ってました(苦笑)。せっかくメジャーデビューを決めていただいたのに「僕キャンペーンとかやりません」みたいな(苦笑)。人前に出たくなかったんです。芸能人じゃないし、音楽家なので作品ありきでの活動を大事にしたかったんですね。

ーー渋谷タワレコの地下でレコ発をやったとき、あ、ついにライブやるんだって驚きましたもん(笑)。あれは熱烈なタワレコスタッフのパワーでしたね。

中田:今思えば、あのときデビューしてなかったら絶対に顔出ししてなかったですよ。ここ数年で、顔出ししないクリエイターが増えたじゃないですか。今の時代が羨ましいですもん。僕、どう考えてもそっちからですから。でも20年前は、アーティスト写真を実写で用意するのが当たり前の時代でしたから。今、イラストの方が多くないですか? ほんと羨ましいですよ。

ーー2021年、どんなに売れているアーティストでもインターネット上で作品を発表して、SNS上でユーザーが交流するのが当たり前の時代となりました。“ネット発”というような言葉も形骸化しましたよね。

中田:今は、音楽はリスニング向けがいいなと思っています。もちろん何が良くて何が悪いじゃないんですけど、どんな用途なのかが作り手にとって重要かなと。目的は、可能性にも制限にもなりますね。遊び方とハマり方はシンクロしているんですよ。

ーー2021年の音楽シーンはライブをしない、顔出しをしない作品重視のアーティストが増えました。そして、CAPSULEの音楽的影響を感じるトラックメイカースタイルのクリエイターも増えました。ちなみに、中田さんに強く影響を受けた表現者にYOASOBIのAyaseさんがいます。他にも、海外ではMadeon、Porter Robinson、Sophie(PC Music)、Moe Shop。そしておなじみのkz(livetune)、TeddyLoid、YUNOMIなど、中田さんやCAPSULEの影響を受けたアーティストやクリエイターは年々増殖していきました。ネットカルチャー、ボカロ文化圏への中田ヤスタカによる影響をどう受け止めていますか?

中田:パソコンとベッドホンだけで音楽を作っていても驚かない時代になったとは思います。

ーー最近では、子供たちの習い事でもDTM教室が増えているそうですよ。すごいなと。

中田:いまやストリーミングやYouTubeで作品を聴くハードルがぐっと下がったので、ミュージシャンも作品のアーカイブを追いやすい時代になりましたよ。たとえばYouTuberってデビューとかないじゃないですか。ミュージシャンもそうだと思うんです。どこからがデビューなど線がない感覚の時代となりました。良いことだと思うんですよ。僕は、もともと10代の頃から今みたいなことをやっていたんですけど、メジャーデビュー時に全然違う経験をしましたから。今は、そういうことが必要ない時代になったんだと思います。最初から自分のチャンネルを持っているという。羨ましいですね。

ーーCAPSULE、気がついたら20周年なんですよね。

中田:昔って作曲家は匿名性を求められていたと思うんです。そんな時代にデビューをして。今って、ダンスをしているダンサーは、ボーカリストの後ろにいてもバックダンサーって呼ばれないじゃないですか。ある時期からアーティストと呼ばれるようになりました。でも、僕がデビューした頃に自分は、ボーカリストの後ろにいるバック作曲家、みたいな? そんな感覚だったんですよ。そんな時代が長くて嫌だなって思って。作曲家だってアーティストだし。それを変えたいなと10年ぐらいずっと思っていました。今は、トラックメイカーの名前が前に出る時代となりました。作曲家がアーティストであることが、当たり前になったんですよね。20年前との大きな変化ですね。

ーーそれこそ、ある種中田さんが戦ってきた結果のような気がしますね。中田さんは作曲家の記名性にもこだわってきました。

中田:僕だけじゃないですけど、作曲家、トラックメイカーの名前が見える時代になりましたよね。僕は映画が好きなのですが、映画は主演の方々と同じく監督や脚本家など色々な名前も知る機会が多いと思いますが、それに少しは近づいてきたかなと思っています。

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